雨の日

2005年1月15日
今日は雨が降った。昨日の夜に、明日は天気荒れるらしいよ、と聞いたのを思い出した。
プールまで、歩いていくのは億劫だった。卒論もあるし、夜のバイトなので、もしかしたら代わってくれる人もいるかもしれないと思って、昼間働いている人にメールで頼んでみた。

代わってくれる人が見つかった。感謝感謝。

卒論のために、大島渚の映画を見た。
『愛のコリーダ』、なんだか借りるのが恥ずかしいタイトル、内容は阿部定の話。

性描写が多かった。たぶん、ラストの阿部定の心情にリアリティをもたせるためじゃないだろうか。ラストシーンは、見てて色んな意味で痛かった。
「うっ!」「あぎゃ!」「痛っ!」「わー!」とかなんとか言って指の股から鑑賞しつつ、ひとりで悶絶。

昼から食傷気味になる。綺麗な色使いだったし、画面からも独特の雰囲気を感じることが出来た。けれど悪く言えば、西洋の人たちから見てもわかるように、こんなんが日本ですよ、こんなん見たいでしょ?みたいに作ってるような映画だった。
カンヌで賞を取ることにも、なんとなく納得。
エンドロールも、日本語じゃなかったし。
それとも、僕が見たのは映画祭出品用に編集されたものなんだろうか。

雨は家を出るときも降ってて、僕は傘を差して歩いて学校に向かった。僕の家の近くの国道沿いには、敷石の代わりに鍋敷きが引いてある家がある。たまに歩くと、やはり目がいく。
それは僕の実家にも似たような鍋敷きがあるので、覚えてる。
たぶん、100yenショップのやつだと思う。

最近、図書館で勉強していないのでわからないけれど、6月に毎日のように通っていた頃、僕と同じように毎日図書館に来て勉強している人がいた。
いつも作業ズボンをはいている、厳しい顔つきをした40代前半くらいの男の人だったと思う。
友達にその話をすると、俺らが一年の時から居るよ、という。
ゲートをくぐるための利用者カードを持っていないから、いつもゲートのそばのカウンターにいる人に頼んで、開けてもらっていると聞いた。
きっと、学生ではないし、院生でもないと思う。

あの人は何を勉強しているんだろう。
働かずに、どうやって生活しているのだろうか。

勝手に物語を作ってしまう。たぶん、何かやりたいことがあって、それをクリアするための努力をしている途中なんだろうな、と。

雨が降るとろくでもないことを考える。
たいてい、どうでもいいこと。
今は大学、もう17時になりそうだ。

ほんとは家に篭って、音楽を聴いて、本を読んで、映画を見ていたい。

けれど、僕はどちらにもなりたくない。

車通りの激しい、国道沿いに2階建て小さな庭付きのマイホームを建てて、敷石のかわりに、鍋敷きを敷いて生活するのもいやだし。

中年になっても夢を持ち続け、働かずに近所の大学図書館にこもって、一日中勉強し続けるような生活をするのもいやだ。

幸せならそれでいい人もいるかもしれない。
けれど、今はそんなふうに考えられない。

なんて具合に、シリアスに装ってみる、大げさに大げさに。

残るものは何もない、と俺
残ることは大切でしょうか、と僕

デスキャブを聞いた。

追記
書きすぎた。
...卒論やらんと。

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