マーズボルタの2枚目、注文したけれど、届くのが遅くなりそうなのでコマダ君に借りた。

「きっと聞いてもわけわからんだろうし、かるくびびるよ」と話すと言われました。
理解するんじゃなくて感じるんだって。

「そういえば、リーも言ってたよな。」と思い、臆せず聞いてみることに。

本日拝借、拝聴。

ツェッペリン+キューバ音楽+ファンク+パンク、そんなこんなの圧倒的な音の融合する中、なんやら重くて、妖艶な、わけのわからん生物が蠢いておりますよ、この作品。

(↑全然違うよ、と言われてもしょうがないです。つーか、俺には言葉で表現できません。)

こんなアルバム作れるバンドは、他にいなさそう。

マジカッコイイやんす、そしてわけがわからないです。

アフロにしたくなること間違いなし。

でも、髪を伸ばすのが大変なんだよねぇ。

追記
今日は、バスケに行った。終わってメシ。
いつも行く居酒屋が、ポイントカードと日替わり定食を始めていた。

素晴らしいぜ、おっちゃん。

そして、それよりもなによりもマーズボルタ、やっぱかっこいい。
内容(「CDジャーナル」データベースより)
死して20年以上経った今,サム・クックの人気が急上昇しているというのはなんとも不思議なことであるが,冷静に考えれば,あのオーティスでさえサムをアイドルにしていたのだから,やっと本物が理解されたというべきか。きっかけとなった63年のライブ。
このレビューは、同タイトルのCDのレビューから転載されています。


昨日の朝、やっと卒論が完成した。1月27日の提出日には、第4章の清書が終わってなくて、終わったにもかかわらず逆に凹んだけれど、今日はとても幸せだった。

幸せな時は、周りの人たちみんなが愛しく思えてくる。
花びらを敷き詰めた道を歩きながら、馬鹿みたいに笑う。
リノリウムの廊下もコンクリートの道路も道をはずれたところの芝生も、歩くたびに跳ねたくなるほどに、ふわふわしてた。

間違いなく、幸せだ。

半脱獄生活は終わり、僕は足かせをはずして、街を出る。

昼にみんなで集まって論文集を作った。

夜に先生の家に行って、先生の作った中華料理を食べた。
カシューナッツ炒め、牛肉とにんにくの芽の炒め物、小松菜と干しえびの炒め物。
先生が作った料理を、みんなで片っ端から平らげていく。
あまりにもおいしかったせいで、水田さんなんかは「幸せやわ〜」とか言いつつ、目をうるうるさせてた。

アルコールとか飲みつつ、語らう。
テレビでは「ドラえもん」が流れてて、のびたはいつもどおり紺色の短パンに黄色いシャツ。

途中、先生から言われたことで、心が弛んで、みんなの前でポロポロと涙を流してしまった。
恥ずかしかったけれど、誰も笑ったりしなかった。
気づかないフリをしてくれたり、微笑んでくれたりした。
人前で泣くのは、ダメだよなぁ、と思いつつスウェットの袖で涙や鼻水を拭いながら、先生が作ったチャーハンを食べた。

9時ごろに先生の家を後にして、研究室で少し休憩。

10時頃に帰宅した。

家に着いて、ちょっとお腹が空いたので、ローソンで買ったいなり寿司を食べながら、自分でお茶を淹れて飲んだ。
マンガを読みながら、今日はとても幸せな一日だと思った。
Amazon.co.jp
前作『心の詩』でアーティストとしてのアイデンティティを確立したスティービーが、その才能を全開に発揮した1972年発表の大傑作。『キー・オブ・ライフ』まで続く怒涛の最高傑作発表リレーの幕開けを飾るアルバムである
。世にまれな完璧な曲の1つと言ってよいであろう、自ら奏でるクラヴィネットが粘りつくファンキーなミディアム・テンポの、軽やかでポップな、揺れるシンセが官能的な、ジェフ・ベックにもカヴァーされた代表曲の1つ、そのベックのギター・ソロが地味過ぎず派手すぎず絶妙な隠れた名曲など。(麻路 稔)


昨日、ゼミの人たちと4人でサラダを食べに行った。
野菜まつりの話になったのは卒論を提出する前、僕がたまたまサラダを売ってもらった日だった。
その日まで、1週間以上も野菜メインの料理を食べていなかった僕は、清田さんがコンビニで買って食べてなかったサラダを、パンと一緒に売ってもらった。
そして、そのツナサラダを食べて気づいた。

野菜はとてもおいしいということに...

フォークで刺す→お口に運ぶ→野菜うまい→テンションが上がる→世界の中心で野菜のうまさを叫ぶ→もっと食べたい→同意を得る。

僕を含めた阿呆田家の人たちは、そんなこんなで上のように単純なプロセスを経て、「俺たちに欠けてるのは野菜だ、卒論の締め切りが終わったら食いに行こう」という話になった。

そして念願叶って昨日、卓上に並んだ4つのサラダ。
やはり野菜はうまかった。

途中、清田さんの顔を見ていた水田さんが、「この顔ももう見れんくなるやなぁ」とか言って、ちょっとなんだか寂しい雰囲気が漂った。「みんなでデッカイ事して遊びたいなぁ」という話になる。

いろいろな意見が出た後、「山のほうにある温泉まで歩いて行こう」という案が出た。
4人。乗る、乗る、乗る、乗るってな具合にみんなで「そりゃいいね」と同意。
きついと感じる人は乗り物に乗っていけばいいし、そうしよう。ということになった。

「今度のゼミまでに残りの4人にも、聞いてみよう。」ってことで別れた。

帰宅、睡眠。昼に起きる。

今日は昼からバイトだった。バイトに出れなくなった人の代わりに出た。

その後は、差し替えのために卒研。31日の25時を、少し過ぎて帰ってきた。

追記
昨日、清田さんにお前はいい奴だと言われた。うれしかった。
けれど、やっぱ僕はいい人ではないと思う。
誰かが嫌がることはあまりやりたくないし、なるべくなら他の人には親切に接したいと思う。
けれど、それは善意じゃない。ただ単に、嫌われたくなくて、好かれたいだけだ。

たまに、誰かに優しくしたり好意を示したりする時に、つまらないジョークを言ってその場を濁そうとする時がある。
あなたが好きですよ、っていうのが恥ずかしいのと同じように、好きな人たちに優しくするのは恥ずかしい、堂々とはできない。
どうしても照れくさいっていうのが一つの理由だと思う。

もう一つは、”いい人になることに罪悪感があるから”だと思う。

普段、ほとんど意識に表面化されないけれど、僕にもずるい部分や、したたかな部分がある。
単純に人のために動いたりしない。
誰かに善意だと思われてる行為のほとんどが、自分のためなんじゃないだろうか。
だから、誰かにいい人だと言われると、嬉しい反面「違うんだけどなぁ」と考える。

自分のために良い事をするのは恥ずかしくないけれど、自分のためにやった良い事のおかげで善人だと思われる状況を作りだしちゃってる自分は、やっぱり恥ずかしい。

最近、読んでる本から引用。 

 自分がなにかを善意でやったと思う人は、善意とは何かを一度考えてみるといい。たいていは自分の気なぐさみということになるであろう。善意を「信ずる」のは、信仰の自由と同じ意味で自由だが、実在するかどうかは、また別問題だ。善意とは、エゴイズムの所産である。(『極限の民族』)


善意がないとは思わない。けれど、誰かに知られる領域での善行には、やっぱり疑いを持つべきだと思う。

どうせ良い事をするなら”したたかさ”とか”ずるさ”とかそういうものとは距離を置いた場所(ex.みんなのいないところ)で、すべきなのかもしれない。
たぶん、やんないだろうけど...

たまに誰もいないところで良い事をやってみる時がある。
でも、それでなんだかちょっと良い気分になってしまう。
やっぱり、それが気なぐさみなんだと思う。

自意識過剰な僕には、誰かに優しくするのは恥ずかしい。
照れずに好意が表せるようになりたいです。

なんて、こんな告白も良い人宣言になるもんねぇ。

ん〜、いっそのことイメージアップ戦略だってことを言っちゃえばいいのかもしれない。
ただその場合は、ちょっとかっこ悪い。

ん〜、むずい...ってただの考えすぎか。
このCDについて
ヘヴィネスと豊潤なメロディをたたえ、ドラマチックに展開するロック・ワールド。欧米プレスに“ロックの未来”と称されるトレイル・オブ・デッドによるメジャー第2弾。アルバム全体を通して、映像美すら感じさせる圧倒的な世界観と美学とミュージシャンシップに貫かれたロックがつづられる。テキサスのプラノーという広大な牧場が広がる小さな街出身の彼ら。レコーディングでもライブでも、担当楽器やヴォーカルを固定しせず、バンド全員がフロント・マンというユニークで自由なアプローチを取っている。日本先行発売、ボーナス・トラック3曲収録。


自分自身を嫌悪し続けたい人はこの世にいないと思う。もしかしたら、広い世界には進んで自己嫌悪に陥ろうとする人もいるかもしれないが、それも自己批評をすることで自分を好きになるための作業のような気がする。

少なくとも、僕は自分を嫌いでいたくはない。

昨日は、卒論の提出日だった。10時半にゼミで集まり卒論の形式を整えた後、15時ごろ提出しに行った。
卒論を書き上げたのは、10時半ごろ。結局僕は最後まで、卒論をいじくっていた。2日間、ほとんど寝ていなかったので、とても疲れた。

10時を回るころには、印刷を終えた人もポツポツと現れ始めていた。
その中には、晴れ晴れした様子で「生みの苦しみは大きかったけれど、喜びはもっと大きいよ。」とか「出来の悪い子でもかわいい」というようなことを言う人もいて、僕は印刷をとても楽しみにしていた。
実際、完成して印刷を終えた卒論をファイルに挟むことを想像しただけで、嬉しくなったりした。

僕が印刷を終えて、表紙を貼ったファイルに論文を挟んだのは、13時ごろだったと思う。
正直に言えば、なにも感動が起きなかった。
達成感はありそうにもなさそうにも感じられる程度だったし、生みの喜びというのもなかった。

むしろ、終わった後に感じたのは空しさだったと思う。
論文を書き上げるために自分なりに努力したつもりだった。
全く、後悔はしていない。
ただ、あれだけ労力を費やして書き上げたはずの論文は、その出来の悪さのおかげで、何よりも自分の劣った部分を顕在化したものに思えた。

晴れ晴れした気分ではあったけれど、それと同時に最低に乾いた気分だった。たぶん、疲れていたのもあると思う。

提出後、まだ帰らずにゼミ室に残っていた人たちと、2時間ほどだらだらと過ごした。僕には、みんなに清々しい達成感があるように見えた。それと同時に、僕を含めたそこにいた人には、帰りたくない気持ちもあったと思う。

研究室を離れて、家に着けば、寂しさを感じるような気がしてた。
まだ、発表は終わっていないけれど、卒論はほとんど終わったようなもんだ。そうすれば、みんなで会う機会は確実に減る。

夕方、家に着いて、友達からメールがあった。
今日飲まないかね?という誘われたので、行くと返事した。
けれど、寝過ごして23時に目が覚めた。あわててメールを送るが、「もう終わり際だから、またの機会に飲もうぜ。」とのこと。
あきらめる。なにかしようと思って、とりあえず起きた。

卒論が終われば、しばらく休もうと思っていた。
けれど、ライナーを読みながらゆっくりCDを聞いたり、読みかけの本を読んでみたりしても、気分が落ち着かない。

気持ちに余裕がなくて休む気になれなかった。
少しサボれば、自己嫌悪に陥る。ホントに病気だと思う。

なにか目標を達成するために努力をしてる間は、自己嫌悪から解放される。だからこそ、卒論に力を入れていたのかもしれない

サボるためには努力しなきゃいけない。
そうしないと僕は凹むし、その先にはどうしようもなく惨めな人生が待ってるような気がする。
努力した先に惨めじゃない人生が待ってるとは思えない。
けれど、そうだとしても、惨めな状況を避ける努力を続けていきたい。それに、起こってもいないことに悲観的になるのも嫌だ。
それは、現実を見ないって意味じゃない。

シャワーを浴びてる間に、書き換えたい部分を思いついて、結局、今大学にいる。もうすぐ4時。2時ごろ、歩いてきた。
自分に対する小さな褒美として、途中コンビニで食べたいものを買って、さっき食べた。

やっぱりあともう少し卒研をがんばろうと思う。
ただ、その間に12月からほったらかしだった勉強も再開するつもりだ。

一足飛びでの変化は期待しない、のんびり行こう。
自分の未熟さを認めても、それと和解するのは嫌だ。

あんまり焦らずに変化していこうと思う。

...ちょっと青すぎたかも。

追記
ちょっとレビュー。

この作品には、ダイナミズムがあると思う。
美しくて、力強くて、すこし大仰な部分もあるけれど、初期衝動を含んだ洗練されない部分があって、聴いていてとても惹きつけられる。

僕は、傑作だと思います。
耽美派な人にも、マッチョな人にもおすすめです。
内容(「CDジャーナル」データベースより)
60年代西海岸ロックのアンダーグラウンドの主役だった{ラヴ}の代表作がデラックス・エディションで復刻。サイケ、フォーク、パンクなどの要素を取り込んだ独自の音楽性が花開く。


朝が来れば起きて新しい一日を始める
昨日と同じ、おとといと同じ、いつも同じ
ずっと毎日が同じくりかえしなのさ
だからガムを噛みながら一生懸命生きている
あぁ、だけど人生は飽きるほどのくりかえし
日が昇るのを待ち続ける

               ”The Daily Planet”

今日の夜届いたCD、やっぱいい。
引用した詩は気に入った曲からです。それとはあんまり関係ないようだけれど、レビューには、「ラブ&ピース」最盛期からシーンが下降に向かい始める1967年の空気を、最もよく表わした作品だとかそんなようなことが書いていました。

60年代や70年代はやっぱ魅力的に映る、けれどそれ以上に今の音楽も面白いと思うし、今の時代に生きてて良かったと思う。
2004年に1967年の作品は聞けるけど、1967年に2004年の作品は聞けない。
昔の作品を聞いていて得られる感動と今の作品を聞いて得られる感動は、すこし異質なような気がする。けっこうそれが楽しい。

今日は3時に寝た、インターホンで8時に起きる。

卒論はいまだ完成せず。だいたいは書けたけれど、いまだ完成度を上げてる段階。27日までがんばろう。
昼に学食の前で会った友達二人は、どちらも終わったらしい。

うらやましいです。

最近、卒研がかなり楽しい。塗り絵の黒い線で仕切られた部分を自分なりに塗りつぶしてる感じ。

もう下書きの段階で凸凹と歪んだ線で書かれた絵だし、自分の色選びにもまったく自信はないし、たまにその塗り絵をほったらかしたくなるけれど。
その枠に沿って綺麗に塗れた時は、とてもうれしい気分なる。

あと3日間で、出さなきゃいけない。
今日提出する人もいるみたいだ。

もう少し、がんばろう。

追記
今日、論文をファイルに挟む話をした時に、想像してとても嬉しくなった。
論文に愛着が湧いてる証拠?

とにかく、ファイルに入れるのが楽しみだ。

野菜食おうぜ

2005年1月24日
昨日は、結局寝ずにバイトに向かった。外はとても寒かった、空気は冷たくて風が強くて、プールまで自転車を漕ぐ間に頭が痛くなった。カキ氷を食べた時に痛くなるのと同じ場所だ。

バイトはとても眠くて、監視してるより寝てる時間のほうが多かったんじゃないだろうかと心配になるくらいにウトウトした。

帰ってきて、すぐに寝た。壮大な夢を見た。
内容は忘れたけれど、夢の中の僕は宇宙船から地球を見下ろしていた。

いいね、宇宙行きたいよ。

1時ごろ、仕度をして、家を出る。
コンタクトをつける時に目に痛みを感じたので、メガネをかけて行くことにした。

今は7時、さっきうれしいメールを清田さんにもらった。
早いとこ卒研終わらして、みんなでサラダを食べたい。
日記書いた後にテレビをつけると、『メジャーリーグ』が放送されていた。途中からだったし、何度か見た映画なので、それほど見たいわけでもなかったけれど、見始めると止まらず最後までだらだらと見る。

エンドロールが流れて、ベッドに入った。
本を読んで眠くなったときに寝た。

今日はセブンイレブンまで送ってもらう夢を見た。そこは、地元から少し離れた街にある店舗で、僕は父さんの車に乗せてもらって、そのコンビニまで行った。

着いたコンビニで、僕はバイトすることになっていた。
店に入ると、店長のような中年女性が近づいてきて、僕を店の奥の更衣室に案内してくれた。おばさんについていく間、すこし見渡した店内は、ひどく汚れて散らかっていた。
床は泥だらけで商品が散乱していたし、壁も棚にもぜんぜん統一感がなかった。
陳列棚は、ただ詰め込まれたように商品が置かれていていて、僕は店内に客がいるのが不思議だと思った。

更衣室にはダサい制服が掛けられたハンガーだけ、黄土色に塗られた壁はのっぺりしていて、部屋の中で僕は閉塞感を感じた。
着替える気は起きなくて、なんで俺はここで働かなきゃいけないんだろうと思った。

昼、アラームが鳴る。目が覚める。

二度寝に入る。

本当は昼に起きるはずだったけれど、布団から出るのが億劫だった。別に眠くなかったし、わりと良くない夢のあとだったけれど、それでも寝ようと思うくらいに、無気力だった

家から出るのは、もっと億劫だった。

3時ごろ、メールをもらった。返信する、その文面を考える間に立ち直る。
分厚い皮膚に辟易、それじゃイカンと駄目出し、布団剥ぎ取り脱皮、起立、ヤドカリ生活は老後に先延ばし。

脱出...洗濯をした後に。

そんでバイトに向かう。途中、大学に寄って本を取っていく。

テニスコートのバイト。21時に終了、大学へ。

卒研を少しやって今は0時46分。

阿部和重が芥川賞を取ったことを今日知った。
新人じゃなくても、受賞できるんだね。

本人は喜んでるのかはわからないけれど、とにかくちょっとうれしかった。

追記
僕のバッグは、みんなのいたスタジアムにはなかったんだと思う。
もしかしたら外にもないかもしれないけれど、外に出られないくらいなら、バッグはいらない。

夢日記

2005年1月22日
昨日、夢を見た。
気づくとそこはスタジアムのような場所で、僕は自分のバッグを探していた。どこかで用事を済まして戻ってきたところだったと思う。どんな用事だったかは、思い出せない。
カバンを見つけてスタジアムから出たかったのに、さっきまで座っていた座席がどこなのかさえ、僕にはわからなかった。

アリーナ席に並ぶ鮮やかなオレンジ色のベンチの隙間を歩きながら、しばらく、見当をつけたところを探してみた。けれども、座席もバッグも見つからない。
いつの間にかぼくの少し後ろには、高校時代の友人がいた。彼らも、ベンチを見回している。僕のカバンを探しているみたいだった。
ありがたいとは思ったけれど、どのカバンなのかわかるんだろうかと思った。

カバンは見つからなかった。スタジアムの真ん中では、祭りのようなイベントが開かれていて、照明の光で眩しいくらいにキラキラしてた。ほとんどの人は高校の制服を来ていて、大きな歓声でスタジアムをいっぱいにしてた。
熱狂は、僕にも伝わってきたけれど、何か隔てられてるような気がした。そう、カバンは見つかってない。

僕は、下から見れば座席全体が見渡せるかもしれないと考えて、スタジアム横の階段を下りた、後ろを見ると友達もついてきている。
けれど、たどり着いたのは外だった。スタジアム横の階段は下の階にはつながっていなくて、僕は外に出てしまったらしい。

もしかしたら建物が、一度外に出なければ下に降りれない構造になってるのかもしれない、と思って、そのまま進んでみる。

歩き進むだけ、灰色のスタジアムからは遠ざかっていくような気がした。
不安になりながら、砂利の道を進む。少し走る。
道の脇には、背の高い草が生えていて、僕は自分が何処を走っているのかさっぱりわからなくなっていた。

カバンの中身を思い出す。カバンの中には、保険証が入ってた。
けれど、なんだかもう、カバンはどうでもよくなっていた。

砂利道をやっとのことで抜ける。そこは、舗装された道路だった。僕はがっかりした。振り返っても、友達は見当たらなかった。
鉄条網で仕切られた敷地の中には、さっきまでいたスタジアムが遠くに小さく見えた。
僕は、敷地の外からそれをしばらく眺めたあとに、カバンを諦めて、舗装された道路を歩いた。
民家はまばらで、車は走っていたけれど、そこは都市ではなかった。

そんなこんなで目が覚める。21日の10時におきた。
中央図書館に行って、卒研のために本を借りる。

11時ごろから卒研、さっき帰ってきた今は22日の2時37分。

今日は久しぶりに自己嫌悪にやられて参った。
帰宅途中、物に当たる。あぁ、よくないよくない。

今日読んだ本は、僕には難しくいまいち消化不良。
けれど、面白かった。(全部は読んでないけど)
映画や小説、漫画。
そういう表現の多くが、あの本に書いてある構造に当てはめることが出来るような気がした。もっと早く読んでおけばよかったと思う。

卒論は、締め切りまでに終わりそうにない。
日記書いてる場合じゃないが、なんだかモヤモヤして書いた。

わりとすっきりした。明日は夜間バイト。昼間は卒研をやろうと思う。

船に乗って

2005年1月17日
昨日はバイトだった。前日(15日の夜)に、昨日は雨が降ることは知っていたので、午後からバイトの入っていた友達と交渉して、メシをおごるかわりにプールまで送ってくれるように頼んでいた。

了解を得て卒研をした後は帰宅、『シェルブールの雨傘』を少し見て睡眠。そして、8時に目が覚めた。

友達からの電話で...

やっちまったー、とか思いつつ準備、支度デタラメに終わらして出発。しようと思ったところで鍵見つからず。約5分の捜索後、鍵は見つかったが、自分のだらしなさを情けなく感じる。

バイト。

なかなか早く終わった。

帰りに友達の車で学食に行ったが、営業していなかった。
遠くにあるラーメン屋に行く。
ネギライスとラーメンを食らう、友達にチャーシューをもらう。

ラーメンやらネギライスやらチャーシューは、とてもうまかった。

なかなか不毛な会話をする、「家事が完璧に出来る、料理のうまいおっさん」or「家事が全く出来ず、容姿も自分好みじゃない娘」。同居しなければいけないとしたらどっちにするか?とか。

二人ともおっさんを選んだ。

その後は帰宅して、大学に行って卒研をした。
たしか『サザエさん』のエンディングを見たので、16日の19時ごろだったと思う。
今は5時。さっき相撲が再放送されていた。

もみあげの濃い力士が気になる。ありゃ、カッコイイ。

雨の日

2005年1月15日
今日は雨が降った。昨日の夜に、明日は天気荒れるらしいよ、と聞いたのを思い出した。
プールまで、歩いていくのは億劫だった。卒論もあるし、夜のバイトなので、もしかしたら代わってくれる人もいるかもしれないと思って、昼間働いている人にメールで頼んでみた。

代わってくれる人が見つかった。感謝感謝。

卒論のために、大島渚の映画を見た。
『愛のコリーダ』、なんだか借りるのが恥ずかしいタイトル、内容は阿部定の話。

性描写が多かった。たぶん、ラストの阿部定の心情にリアリティをもたせるためじゃないだろうか。ラストシーンは、見てて色んな意味で痛かった。
「うっ!」「あぎゃ!」「痛っ!」「わー!」とかなんとか言って指の股から鑑賞しつつ、ひとりで悶絶。

昼から食傷気味になる。綺麗な色使いだったし、画面からも独特の雰囲気を感じることが出来た。けれど悪く言えば、西洋の人たちから見てもわかるように、こんなんが日本ですよ、こんなん見たいでしょ?みたいに作ってるような映画だった。
カンヌで賞を取ることにも、なんとなく納得。
エンドロールも、日本語じゃなかったし。
それとも、僕が見たのは映画祭出品用に編集されたものなんだろうか。

雨は家を出るときも降ってて、僕は傘を差して歩いて学校に向かった。僕の家の近くの国道沿いには、敷石の代わりに鍋敷きが引いてある家がある。たまに歩くと、やはり目がいく。
それは僕の実家にも似たような鍋敷きがあるので、覚えてる。
たぶん、100yenショップのやつだと思う。

最近、図書館で勉強していないのでわからないけれど、6月に毎日のように通っていた頃、僕と同じように毎日図書館に来て勉強している人がいた。
いつも作業ズボンをはいている、厳しい顔つきをした40代前半くらいの男の人だったと思う。
友達にその話をすると、俺らが一年の時から居るよ、という。
ゲートをくぐるための利用者カードを持っていないから、いつもゲートのそばのカウンターにいる人に頼んで、開けてもらっていると聞いた。
きっと、学生ではないし、院生でもないと思う。

あの人は何を勉強しているんだろう。
働かずに、どうやって生活しているのだろうか。

勝手に物語を作ってしまう。たぶん、何かやりたいことがあって、それをクリアするための努力をしている途中なんだろうな、と。

雨が降るとろくでもないことを考える。
たいてい、どうでもいいこと。
今は大学、もう17時になりそうだ。

ほんとは家に篭って、音楽を聴いて、本を読んで、映画を見ていたい。

けれど、僕はどちらにもなりたくない。

車通りの激しい、国道沿いに2階建て小さな庭付きのマイホームを建てて、敷石のかわりに、鍋敷きを敷いて生活するのもいやだし。

中年になっても夢を持ち続け、働かずに近所の大学図書館にこもって、一日中勉強し続けるような生活をするのもいやだ。

幸せならそれでいい人もいるかもしれない。
けれど、今はそんなふうに考えられない。

なんて具合に、シリアスに装ってみる、大げさに大げさに。

残るものは何もない、と俺
残ることは大切でしょうか、と僕

デスキャブを聞いた。

追記
書きすぎた。
...卒論やらんと。

卒研

2005年1月12日
現在1時01分。17時に起きて、風呂に入って、19時過ぎに大学に行って、音楽作業して卒研ちょいちょい、そんで帰宅してこの時間。

寝たいのに眠くない。また、寝る時間がずれてしまいそうだ。
でも、仕方ないので、お茶でも飲んで、のんびりしようと思う。
つけものがあるし、わりと楽しみだ。

あんまり、のんびりしてる暇はない。
ただなんだか、気持ちにばかり、余裕がある。

卒研はあと14日で出さなきゃいけない。
なのに、危機感が持てなくて参る。

やる気はあるが、その気持ちがゆるい。
適当なものでよければ、出せるからだと思う。

先生に直されたところは、直さなきゃいけない。
やっぱ自己満足に浸ってできた、独りよがりな論文は提出したくない。

すでに十分独りよがりだけど、それでもいやだ。
Album Details
Unavailable in the U.S., this is a German reissue of theirtop 30 1972 album featuring the top 30 smash ’Pop ThatThang’ & the hit ’Work To Do’. Eight tracks total.


僕は、キャロル・キングがけっこう好きです。
トッドラングレンも一枚しか聴いたことがないけど、好きです。

アイズレーブラザーズのこのアルバムは、彼らがオリジナルなスタイルを確立し始めた時期の作品らしいです。
かなりポップだけれど、時代の影響をモロに受けている感じ。

トッド・ラングレンの『Something/Anything?』が1972年、キャロル・キングの『つづれおり』が1971年、このアルバムからはすごく二つのアルバムに通じるものを感じる。
それは、きっと方法論的に似ているからではないだろうか。
推測に過ぎないけれど、それらの作品は、ヒット曲を書くための方程式のようなものを見つけたアーティストたちが、その方程式に則って作り上げた作品なんじゃないだろうか。

トッド・ラングレンは、そういう方法を用いて作り上げた最後の作品として、『Something/Anything?』を揚げていたような気がする。彼は、以降、より実験的な方向に移っていく。
そのままヒット曲を書き続けようとしなかったのは、それがつまらないからだと言っていた。(たぶん)
たしかに作り手にとってはつまらないだろう。

型に流し込む作業は、単純だ。
(普通の人には、型自体が作れないだろうけど。)

でも、やっぱいい物はいいわけで、耳ざわりのいい曲の詰まったポップなアルバムは、いつの時代も重宝されると思う。
このアルバムも、その重宝される一枚に入るんじゃないだろうか。

違うかもしれないので、信用しないでください。
...って、心配ないか。

今日は、10時に起きた。11時に甥姪と両親が戻ってきた。
その後、みんなでプラネタリウムを見に行く。

帰りにカレー屋で遅めの昼ごはんを食べて、夕方に遊具で遊ぶ子どもを監視して、鯉に餌をやったりして、家に戻って、時間が経ってから、母親とスーパーに買い物に出て、家に戻って、ごはんを食べてのんびりして、今は研究室。

眠い。6日に一度うちで寝た時に、姪っ子が布団を濡らしたので、布団が足りなかった。
7日の朝に起きた時、彼女の第1声は「みっちゃん(俺の母親)、お布団濡れてるよー!」だった。

濡らしたのは本人である。

ここ2、3日卒業研究をほったらかしていたのもあって、研究室で一晩を過ごすことにした。
すでに眠い。日記を書くのが途中から面倒になるくらい。

追記
現在、11日の11時。みんなが帰った。
僕は朝の9時ごろまで研究室にいて、その間に、ウトウトしたり、本を読んだり、少し卒研をしたりした。

朝ごはんは、母親が作ったものをみんなと一緒に食べた。

タクシーに乗るみんなを見送った。部屋に戻ると、テレビのほうから音が聞こえてた。

テレビはつけっぱなしだった。
姪っ子が見てた教育番組がわりと陽気な音を流してた。

よく寝てないから当たり前だけど、未だに眠い。

Jupiter

2005年1月9日 音楽
内容(「CDジャーナル」データベースより)
力強いメッセージと胸に響くメロディ。バンド・グルーヴで唯一無二の存在感を示す彼らのニュー・アルバムが完成。「ダイヤモンド」「天体観測」ほか、珠玉のヒット・シングルを網羅した大作だ。


今日は、10時におきた。
2時にゼミの友達と約束していたので、カラオケに行く。

お店の前には、清田さんしかいなかった。
中田さんは30分後に着くとのことだったので、近くの公園で時間をつぶして、中田さんを待つことにした。
公園には、池と展望台があった。
清田さんも、俺も長いこと近くに住んでいるにもかかわらず、その公園を歩いたのは、初めてだった。
そんなわけで、展望台に登ったことも当然のようになかった。

自然と池に足が向かい、少し鯉を見た後、やることもなかったので展望台に上がってみることにした。
切符売りのオジさんに100yenを払い、半券を受け取ってエレベータに乗る。
エレベータの着いたところから周りを見渡す。
池の鯉は、上から見てもずいぶん大きく見えた。
大きく見えるくらい、展望台が低いものだっただけかもしれない。
二人の間に、「あぁ、こんなもんだよな」的な空気が流れる。

エレベータ前に戻った時に、上に上がる階段に気づいた。

かるく盛り上がる、あわい期待を抱きつつ、階段を上がる。
気分は2段飛ばし、けれど1段ずつ。

頂上からの景色もさほどではなかった。けれど、南の方向に牛久の大仏が、それが大仏かどうかを識別するのも難しいくらいに小さく見えた。

しかし、俄然テンションが上がる。
「え!あれ、大仏じゃないすか?ね、やっぱ大仏っすよ?」みたいなセリフを、興奮気味に何回か叫んだような気がする。

そっからまたやることもなくなったので、下を見ながら、中田さんを探した。

清田さんが言う。「あれ、中田さんでしょ。」

それは中田さんではなく、オッサンだった。

その後、もう一回くらい清田さんが中田さんとオッサンを間違えた後、道路を見ていると本物の中田さんらしき人が見えたので「あれだ、あれっすよ、中田さんですよね。」みたいなことを言った。

中田さんらしき人は、カラオケの前に自転車を置いた。

僕らは、中田さんに電話をした。自転車をとめたのは、やはり中田さんだった。
「今、着いたでしょ?俺らからは見えてますよ」ってことを言って、きょろきょろと周りを見渡す中田さんを少し楽しんだ後、二人で上から手を振って中田さんに気づいてもらう。

下に降りて、中田さんに会う。

「おれら公園デートしてきたよ。」ということを言うと、”あそこに登ったカップルは別れる”っていうジンクスがあるらしいよ、ということを言われる。

少なくとも俺らは、カップルじゃない。

二人とも男だす。

2時半から8時まで歌った。
途中、父親から電話があって、今日は戻れないという話を聞く。
水田さんは、17時ごろ来た。
いつもとは髪型が違って新鮮だった。占いで、髪型を変えるといい、という結果が出たらしい。

3人で誉めた。水田さんは、いつも活発な印象がある。
髪型が違うだけなのに、いつもよりなんだか清楚に見えた。

ただ、僕も含めた先に来ていた3人は、すでにヘトヘトだった。

始めは楽しみに来たはずなのに、かなりダルダルで仕事をこなしている時のような雰囲気が、部屋を満たしていたように思う。

最後のほうは、頑張るくらいなら帰ればいいのに「あと30分だぜ、がんばろう」などとわけのわからない励ましを言うような耐久レース状態で、おかしなテンションになった。

けれど、約5時間半けっこう楽しかった。
あまりカラオケで楽しめたことはないけど、今日はとくに楽しかったと思う。

カラオケを出て、「お腹が減ったね」という話になる。
スーパーに買い物に行って、鍋をすることした。

卒研をやってる知り合いやらを呼んで、10人ほど集まる。

これまた、良かった。鍋はおいしくて、楽しかった。
たまたま研究室に会った『シルクロード』のビデオを流しながら、鍋を食べるという、もはやわけのわからない状況だったけれど、取り留めのない展開とノリが、すごく大学生っぽくて、よかった。

1時半に解散。寒い中をみんなで、自転車を漕いで帰った。

集団下校。水田さんが「うわー、めっちゃ星きれいやんな、オリオン座、メッチャきれいに見えるで」とかなんとか言って空を見たので、僕もつられて空を見た。

夜空には雲がなく、晴れた空でオリオン座を含めたたくさんの星が、しっかりと輝いて見えた。

...とかいう感じのちょいとした青春。

とても楽しい日だった。

ロッキー

2005年1月8日 音楽
内容(「CDジャーナル」データベースより)
シルベスター・スタローンを一躍スターダムにのし上げた「ロッキー」のサントラ盤。{やれば出来る}というアメリカン・ドリームを現代に描いたこの映画,全世界で大ヒットを記録した。ビル・コンティのテーマ音楽も力強く感動的に取り入れられていた。


デーモンゴフは言ってました、「音楽は人生のサントラにすぎないんだ。」って。
そんなふうに指摘されていても、詞や音から、自分にとっての大きな意味を見いだそうとしてしまうところが悲しいところで、それを自覚していてもやはり考えてしまう。

「もしかしたら、意味があるんじゃないだろうか」と
「自分にとって、音楽が意味するものは、とても大切なんじゃないだろうか」、「意味するものってなんだろうか」と。

でも、それがわかったとしても、わからないとしても、きっと生活は変わんないと思う。
悲しいけれど、かなりどうでもいいことだ。
この日記にこんな事を書いてること自体が...

ロッキーのサントラをこの前借りてきました。
たしかロッキーがアポロに勝ったあとのシーンで流れる、”The Final Bell”が好きです。

馬鹿なら馬鹿なりにつかむ栄光もあるよね、たぶん。
俺もがんばろう、と思いました。

今日は10じに目が覚めた、なんやら気分が優れず。
黒に近い灰色で、11時までを過ごす。腐る。

12時になる前に支度、腐った部分を少し切り落として、家を出た。

バイト。監視員室の壁にかかるカレンダーを見て、ホソダ君の誕生日がすでに2日前に終わっていることに気づいた。
「あ、やべ」と思った。今日、祝う決意をする。

バイトはいつもどおり。家に帰って、コマダ君に電話をする。
大学で集合して、ゼミ室で研究をしているホソダ君を祝うことにした。

ケーキはコマダ君が買ってきた不二家ケーキ。
プレゼントは、写真をあげることにした。ホソダ写真集(撮影 俺+その他の人々。)
大学に行く途中、文房具屋で一番無難なデザインのアルバムを買って、入れて、渡した。
自分の写真ばかりのアルバムはちょい気持ち悪い、というもっともな意見をコマダ君にもらったが、まぁいいやと思って渡した。

ホソダ君は普通に喜んでくれた。
ケーキを食べて、一杯飲んで、喋って解散。
二人と賭けの約束をした。ホソダ君とひとつ、コマダ君と二つ。

恥ずかしいし個人的なことだから書かないけれど、けっこう青い賭け。
とくにコマダ君との賭けの結果は気になる。

どっちが勝つだろうか。
俺は負けたくないし、向こうも負けないでほしいと思う。

...くさすぎたかもしれない。

今は研究室。さっき、おモチをもらった。
腹減ったところに差し入れ、「うきゃー、よかったよかった。」と静かに浮かれる。

食らう、お礼の言葉をEメールで伝える。

今年はがんばるぞー、と再度意気込んでみる。

IT WAS WRITTEN

2005年1月6日 音楽
内容(「CDジャーナル」データベースより)
全米アルバム・チャート初登場1位の快挙となったセカンド。前作より明るいトーンの聴きやすい作りだが,絶望スレスレで踏ん張るNASのスタンスは不変。憂いを含んだ訴えかけは依然,深遠だ。西の大将,ドクター・ドレーとの共演曲?も話題。★


7時半ごろに目が覚めた。
いつもどおり支度した後、部屋を片付けて、掃除機をかけた。

家を出る。

外は寒かった、たしか8時半ごろだったと思うけれど、自転車を漕いでいると、鼻水が出そうになった。大学に着いて、エレベータのボタンを押す時、感覚がないくらいに指先が冷たくなっていた。

自転車を止めて鍵をかける時、傘を持ち歩いている人が見えた。

空は曇っていて、「雨、降りそうだなぁ。」と思った。
傘を取りに戻るのも考えたけれど、面倒なのでやめた。

研究室には、水田さんと清田さんがいた。
清田さんは、提出用の第5章をすでに書き上げていた。

パソコンに、NASの2枚目を落とした後、卒研を始めた。
途中、二人が食べていた豆乳鍋を少しもらう。
第5章は12時少し過ぎに終わった。
結局、結びをどうしたらいいのかわからなかったので、先生にヒントをもらうことにした。

郵便局に出しに行った。途中、スーパーでA4用紙が入る大きさの茶封筒を買った清田さんに、茶封筒を一枚もらった。

二人の論文を同封して出す。郵便局の中にある普通郵便用のポストから入り口の間を歩く、終わった実感がおなかの真ん中あたりからだんだん湧いてきて、それに呼応するみたいににうれしさがこみ上げてきた。

郵便局を出たとき、思わず「終わったー!」とか叫ぶくらい解放感があって、しばらく、にやにやしながらそれ浸った。

「脱獄に成功したような気分だ。」みたいな事を清田さんが言って、俺もそうだなぁ、と思った。
まだ終わってないけれど、何か、変な重荷から解放された気分だった。

囚われの身→半囚われの身。

レンタル屋に行って、借りたいCDを3枚借りた。
しょっちゅう、自分に褒美を与えてるような気もするが、まぁ、いいやと。

大学に戻る前に、沖縄料理専門の弁当屋に行って、弁当を買った。初めて訪れる店だった。広くない店内、弁当が出来るのを客が待つスペースとキッチンに分かれていて、それを仕切るカウンター側の壁には、料理の名前の書かれた紙とバレリーナを写した写真が、ほとんど統一感なく張られていた。

弁当を写した写真は一枚もなかった。何を頼めばいいのか、さっぱりわからなかったので、同じものを頼んだ。

少し待つと、弁当ができた。予想以上においしそうだった。
まだ地面は濡れていなかったけれど、外はポツポツと雨が降り始めていた。

大学に戻って食べる、おいしかった。

そっからダラダラと研究室を片付けて、面白いと聞いていた本を大学図書館で借りた。戻って何かをやる、ドアのほうが気になって見てみると、沢山の荷物を抱えた中田さんが来た。

彼女は、お土産をたくさん持っていて、ごはんを食べてすぐだったけれど、かりんとうやら、金満だか金萬だかを食べた。

みんなが帰って、少し本を読んで、借りてきたCDを聴いて、傘を拝借して、バスセンターに迎えに行った。

In The バス待ちスペース、両親と姪甥コンビが乗っているバスを待った。

雨の日は、晴れの日よりも騒がしいと思う。

自動ドアが開く度に、空調で暖められていた空気が、外に吸い込まれるようにして僕の周りを離れていく。
ドアが閉まるまでの間、膜を一枚隔てたように聞こえていた音がクリアになる。
雨水が地面に撥ねる音、濡れたコンクリートの上を走る車の音、エンジンの音、バスのブレーキの音。

何もこんな日に雨が降らなくてもいいのにな、と思った。

7時半ごろ、バスが着いた。
インスタントカメラを持っていたので、甥と姪を撮った。

買い物をして、みんなで鍋をして、寝た。
甥姪コンビは、一日目から子供パワー全開だった。

甥っ子が、かなり喋れるようになっていて、面白かった。
現在午前10時、大学。

ここ2・3日、0時に帰って寝て、8時近くに大学に来る生活を送れている。
大学に来ても、だらだらと卒研をしているのであまり建設的ではないけれど。悪くないリズムだと思う。

昨日、第5章が第2節まで終わった。
相変わらずヘボい出来、それでも、もし頑張らなければさらにヘボい論文になっていただろうし、まぁいいや、と。(実際は、そんなには頑張ってないかもしれない。少なくとも時間はかかってるけれど...ただ、効率が悪いだけとも言えるし。)

これから自己満足の産物を推敲。

わりと頑張ったのに、出来が悪いと凹む。
こんな事に何か意味があるんだろうか、俺のやってることは明らかにどうでもいいことだな、と。
けれど、それが自分の力量だと思って、受け入れるしかないんだと思う。

空しいからと言って、何も抵抗しないのも嫌だ。
自分の力量を受け入れた上で、やれることをやろうと思う。

って、ちょっと大げさか...
内容(「CDジャーナル」データベースより)
フィードバック武装による血管硬直現象。その衝撃がいかんなく発揮された2nd,3rdシングルの??。この悶絶の極みに続いて4th?ではメロディー・メイカーとしての才能も披露。この複合ワザが85年リリースの1st。最も大衆のイメージに近い作品。


昨日見た映画に”Just Like Honey”が使われていて、自分の棚にこのCDがあることを思い出した。それほど好きじゃなかったので、ずっと聴いてなかった。

けれど、聴きたくなって、聴いた。

今日だけで、10回以上聞いたと思う。

外の音が聞こえないくらい、音量を上げて自転車を漕いだり、研究室の中でみんなの会話が聞こえないくらい音量を上げて、卒研をしたり。

自分の中で好きな曲が1曲増えて、しかも、それが今まで良さがわからなかった曲だとしたら、それは、かなり幸せな出来事だと思う。

「ポップミュージックの本質は、君がウォークマンの音量を上げたときにある。」ってようなことを、昔、片岡さんか誰かが言ってて、僕もそうだと思いました。

気を抜くと、多幸症気味になる。

7時に起きた、大学にいって、卒研をして、外に出たくなったので水田さんと清田さんと一緒に、コンビニに行くことにした。

外は、天気がよくて、歩いていてとても気持ちが良かった。
それだけで幸せな気分だった。

僕らが出たのは、10時45分すぎだったと思う。
途中、コンビ二ではなく、どこかに食べに行きたいねという話になり、サンクスを通り過ぎて、インドカレーのお店に行くことにした。

正月だし、11時という微妙な時間だったので、店が開いてるかどうかわからなかったけれど、歩きたかったし、3人とも「もしも開いてなければ残念だけれど、それでもいいや」という感じだったと思う。

10時57分に、店の前までたどり着いた。

店のドアの横の小さな看板には

"Every Day Open"

”Lunch-Time Open 11:00-15:00”

というようなことが書いてあって、もしかしたら開くんじゃね?という話をしていると、インド人の店員の人が出てきて、おもむろにドアの看板を裏返した。

「お、ついてるね。」とか言いながら、3人で店の中に入った。
やっぱインドの人は、お正月に関係なく、新年をすごすんだろうか。

久しぶりに行った、そのお店の内装は、以前に来たときと変っていた。前は、入って左側の半分を埋めるすし屋のカウンターのようなスペースにキッチンがあって、そのおかげで店が狭くなっている感じがしたけれど、今回はそのすし屋のカウンターのようなところが取っ払われていて、空けられたスペースには、イスやテーブルが並べられていた。

清田さんは野菜カレー、水田さんはチキンカレー、僕はキーマカレーをそれぞれ注文した。
すこし食べさせてもらったけれど、どのカレーもやっぱり、とてもおいしかった。あと、ナンがおいしかった。

カレー屋を出て、3人とも幸せな気分になる。
外は陽射しが暖かくて、ぽかぽかしていた。
もしいやなことがあったら、晴れた日に、外を歩いて、何かおいしいものを食べに行くといいと思う。

大抵のことは、どうでもよくなるんじゃないだろうか。

研究室に戻るのは少し苦痛だった。エレベータを使わず、階段を上ったり、意味もなく2階のフロアを歩いたりして、なるべく遠回りをしながら、戻った。

そこからは、9時ごろまで研究。第5章が終わらず苦戦。

9時少し過ぎに、さえない自分に卑屈な気分になる。

最悪だった。

日記に書くのも恥ずかしいくらいにどうでもいい事と、そのことに対して無関係になろうとして無力感に沈もうとしている自分を自己嫌悪、思いっきり凹む。

しかも、その事をメチャメチャ誰かに話したくなり、その場にいた清田さんに、言いたいことも整理しないでウジウジと話してしまった。

なんだか、さらに卑屈な気分になった。
「何をしたいんだ、俺は。」と、「あぁ、俺、マジで味噌っかす青年だ。」と。

しかし、帰宅直前に先輩からメールをもらい、すこし回復する。
家に帰って、友達からメールをもらい、すこし回復する。

寝て、起きて、風呂に入って、朝ごはんを食べると、前日悩んでいたことがとてもアホらしくなった。

でも、今度落語を見ようと思う。
Amazon.co.jp
ソフィア・コッポラ監督が、自らの来日での経験を生かして書き上げた本作で、第76回アカデミー賞脚本賞を受賞。CMを撮るために来日したハリウッドのアクション・スターと、ミュージシャンの夫に同行するも、ホテルに取り残されたアメリカ人女性が、たがいの気持ちを理解し合う。ただそれだけの物語だが、東京のカルチャーが外国人旅行者の目線で鮮やかに映し出され、彼らの高揚感と孤独、とまどいを伝えていく。
タイトルにあるとおり通訳の不備で意志の疎通ができないもどかしさや、某ハリウッド女優をパロったキャラが笑いを誘いつつ、主人公ふたりの感情を台詞の「間(ま)」で表現するなど、アメリカ映画とは思えない曖昧さが本作の魅力。むしろ「間」の感覚を知る日本人の視点で観た方が、より主人公たちの切なさを感じられるかも。コミカルとシビアな表情をさり気なく使い分けるビル・マーレイと、控え目に孤独感を表現するスカーレット・ヨハンソンの演技には存分に共感。「はっぴいえんど」を始めサントラの選曲も含め、映画に描かれるあらゆる要素が、優しく繊細に登場人物の心を代弁する。(斉藤博昭)



バイトだった。1日は、夕方から2時ごろまで寝て、テレビで『ALLI』を見た。とても、ドラマチックな人生だと思った。
最後まで、自分でありたい、という気持ちが彼を動かしていたように思った。(いや、今も生きてるんだろうけど)
それは傲慢さとは無関係になれない生き方だと思う。
けれど、そういう生き方のできる人は少なくて、だからこそ、たくさんの人が彼にあこがれるんじゃないだろうか。

6時からは、だらだらとすごした。

今日は8時に友達が。凍った窓に四苦八苦。
彼の車は、暖房が壊れている。
雪解けスプレーをかけ、窓を布で拭いて、プールに向かった。

バイト、8時半から5時まで。
シート上げをする前に、お神酒を飲んだ。

お客さんはわりと来ていたと思う、みんな暇なんだなぁと考えながら監視。途中、蛍光イエローの海水パンツを履いたおじさんが来た。

僕は、彼が気になってしょうがなかった。
おじさんの履いている海水パンツは生地が薄く、ケツの割れ目が見えていた。

おじさんは、気づかないのだろうか。
自分の割れ目がうっすら見えていることに。
無神経すぎると思った、正月からオヤジのケツはいらん。

いや、正月じゃなくてもいらん。

法律で禁止してくれればいい。

タバコみたいに、税金をかければ気づくと思う。
金払ってまで見せたいっていうなら、それはそれで仕方ないような気にもなれる。
ヤツがケツを見せることにより満足感を得ていたとしても、やつの払う「スケスケ海パン税」によって公共サービスを受けることになるだろうから。

友達とロストイントランスレーションを見ることした。

帰りも友達に乗っけていってもらった。雪解けスプレーをかけると、曇りやすい窓になってしまうらしい。帰りは、曇り止めスプレーをかけた布で窓を拭いた。

ツタヤでDVDを借りる。かなり混んでいた。
やっぱ、みんな暇なんだね。

一度家に送ってもらってから、自転車で大学へ。

大学に着いて、何分かして水田さんが来た。
いろいろあって、彼女の先輩とおれら3人で夕飯を食べに行くことになった。

In 中華料理屋。

内装の新しい店だった。トイレの便座は自動開閉。
かるく驚く。中国語のヒップホップがかかっていた。

そんでバック。
帰りの車の中でも、見るのが楽しみで仕方がなかった。

大学に戻って映画を見た。
ちょっと期待しすぎたのかもしれない。

音楽も映像も良かった。
マイブラの曲(たぶん”Sometimes”)がかかるシーンで、なにかを切実に感じたような気がする。

やっぱり、知ってる曲がかかるのは単純にうれしい。

ただ、いまいち、グッと来なかった。
なんか、すごい残念だった。今もなんだか引っかかってる。

言葉の通じない都会の街で感じる、孤独や疎外感。

僕にはそういう経験がない。
うまく想像できなかったのはそのせいもあると思う。

また見たい、と思う。

元旦

2005年1月1日
僕の通う大学の校舎は白い。今14時だけれど、太陽の光を反射した校舎は、黄色っぽく見える。これから夕方になるんだろう。それとも、黄ばんでいるだけだろうか。
元旦も1日24時間しかない。僕は、夕方が嫌いだ。

24時よりも、ベッドに入るときよりも、一日の終わりを切実に感じる瞬間だと思う。

研究室の、故障したブラインドの隙間から、窓の外を眺めていると、ひどく空しい気分になった。

僕は空調の電源を落として、部屋を出た。廊下を歩いて、エレベーターの前に立つ。下に降りるスイッチを押して、エレベーターを待つ。迎えに来た箱の中に入る。数字の「1」が書かれたボタンを押して、箱の中でが下降するのを感じた。

音が鳴って、エレベーターを出た。

大学を出て、自転車に乗った。

自転車に乗りながら、僕は色々なものと出会った。

途中、家に寄った。途中、お腹が減ってあんぱんを食べた。途中、眠くなって、仮眠をとった。途中、人恋しくなって手紙を送った。途中、手放しでも運転できるようになった。途中、おばさんにお菓子をもらった。途中、自転車を壊したくなった。途中、疲れた。途中、行き先を間違えた気がしたので引き返した。途中、何もしたくなくなった。途中、釣りをした。途中、誕生ケーキのローソクが1本増えた。途中、黄昏れた。途中、サンタに会って、象をもらった。途中、寒くなったので花火をした。

花火は暖かくて、なかなかキレイだった。

途中、ノートを買って、忘れないように花火を書いた。
途中、音楽を聴いて過ごした。

途中、空しさが少しやわらいだような気がした。

燃えよウータン!

2004年12月30日 音楽
内容(「CDジャーナル」データベースより)
これは笑える。よりにもよって{少林寺武間派}を名乗るラッパー集団なのだ。ラグド(ぼろぼろ)・ビーツと呼ばれるザラついたバック・トラックを背後に,ロール・プレイング・ゲーム乗り丸出しのカンフー・ラップ(?)が炸裂。昨年度の現地話題作。


髪を切りに行くといつも、B系の美容師とウータンの話になります。
Ol’ Dirty Bastard、死んじゃったね。
思い入れはありませんが、ご冥福をお祈りします。
ウータン、メンバー全員が集まるショーなら見てみたいなぁ。

朝5時半まで研究室で卒研をゆるく進めて、その後は3人でファミレスに行った。
僕は和食を、清田さんは洋食を、中田さんはオムライスをそれぞれ注文。
席に座って、少し落ち着いた頃にはもうかなり明るくなっていた。

ファミレスの朝食は、全然悪くなかった。

その後、中田さんからロマンチックな話を聞きだそうとしたはずなのに、いつのまにか恥ずかしい話大会になる。僕と清田さんが恥ずかしい話をする→中田さんがロマンちっく体験を話す感じで2サイクル、くるくると。

かなり悩んで、軽く恥ずかしい話と相当恥ずかしい話を2つした。

「これ、相当恥ずかしくない?」「いや、そんなんでもないんじゃん。」みたいなやりとりは、下手すると傷の舐め合いになりかねないけれど、そんな感じはなかったと思う。
他の人の恥ずかしい話を、それぞれに笑いながら聞いた。

自分が恥ずかしいと思った体験を各々に語っていたわけだけど、自分のが一番恥ずかしいような気がした。その事を清田さんにいうと、「いや、そんなんでもないよ」ということを言われた。
本人の恥ずかしい気持ちは、他の人から見れば笑い話にしかならないことだったりするらしい。
たまに、トイレや浴室とかで、全然関係のない時の恥ずかしいことを思い出して、「うぎゃー」ってなることがある。そういうのは、もしかすると本人にとって印象が深いだけで、ほとんどの事は言われて思い出すぐらいにしか他の人に覚えられていないのかもしれない。

中田さんの話は面白かったが、俺には少々アダルトすぎて、参考にはならなかった。

ファミレスを出たのは8時過ぎ、外の空気は冷たく澄んでいて、濡れた凍った地面がところどころで、朝陽をキラキラ反射させていた。光がやわらかかった。

滑って転ばないように、小刻みに歩く。

恥ずかしさを共有したせいか、帰り道を歩く3人には、なんだかおかしな連帯感があるような気がした。

途中、雪だるまを見つけた。2枚、写真を撮った。
さわやかな写真が撮れてるといいなぁ、と思う。

今日は30日、明日は31日。朝、8時過ぎに帰ってきた。
昨日から今日にかけての18時間は、今年一年を表すような、ゆるくていい一日だったと思う。

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