イン/カジノ/アウト
2005年3月14日 音楽内容(「CDジャーナル」データベースより)
94年にテキサスで結成され、2000年もライヴを中心に旺盛に活動を続けている{アット・ザ・ドライブ・イン}。彼らが98年にりリースしたアルバムにボーナス・トラックを加えての再発売だ。
オマーもセドリックも、アヴァランチーズの太っちょDJも、昔のマイケルジャクソンも、コービーブライアントも、鶴瓶や具志堅も。
僕が好きな人たちはみんな通ってきた道、そして一部の人は通行中のファンキー街道。
「でっかい」、「わさわさ」、「ソウルフル」、そんな形容をしたくなるごっさファンキーなアタマといえば...
そう、、、やっぱりアフロヘアーだ。
そんなわけでアフロにしてきた。所要時間は4時間。
初パーマ。パーマ液の匂いは強烈だね。
理由は、面白いしバカみたいだから。
卒業したら、こんなアホなアタマできないと思う。
それに、どんなに凹んでても「落ち込むアフロ」な自分は、笑えると思う。
明日(今日の夜)からスノーボード旅行。
スノーボードは、2回目。
めちゃめちゃ下手で、ぜんぜん滑れない。
でもかなり楽しみだ、ウキー!
よし、荷造りしよう。
追記
コマダ君とセトダ君と3人で、アホな撮影会をした。
ビフォーアフターな感じで激写、Tシャツ姿で激写、ウクレレ持ちつつ激写、アフロのカツラ+黒ブチ眼鏡なコマダくんと激写。
もう一人はいなかったしインスタントカメラだったので、少し考えて3人で集合写真。
うっすらと暮れ始めた陽の下、3人のシルエット撮って終了。
思ったより小さいけど、でっかいアタマ。
なんだか、たのしい。
けっこうカッコ悪いけど、理由の4分の一は、”あこがれ”だと思う。
やっぱり、どこかに憧れてるところがある。
ファッションのためには、やってないと思いたい。
(結局、文化が違うから、ファッションにしかなりえないし、ファッション以下のなにものでもないんだろうけど)
やってることと矛盾してるようだけど、目立ちたくない。
人生を、ただ楽しくやりたいと思う。
享楽的に生きたいって意味でもないし、怠けたいって意味でもない。
東ハトのオールレーズンってうまいね。
グローイング・アップ
2005年3月10日 音楽内容(「CDジャーナル」データベースより)
メロコアの日本代表選手,ハイ・スタのメジャー・デビュー盤。キャッチーなメロディとエネルギッシュな爆音演奏は明らかに他のメロコア連中から数歩抜きん出たもの。オリジナル楽曲の完成度の高さはもちろんのこと,???などのカヴァーのセンスも最高!
久しぶりに聞きたくなったので、これとは違う輸入盤を友達に借りて聴いた。
この作品がリリースされた頃、僕は地元の町立中学校に通ってた。バスケ部に所属していて、夏休みも毎日のように練習があったので、毎日のように学校に行ってた。
中学2年のころ、学年にハイ・スタンダードを知ってる人は誰もいなかった。(...と思う)
音楽好きな友達はいた。けれど、彼らの言う「音楽」のほとんどがビジュアル系ロックバンドの歌謡曲や、ラジオやテレビで何度も流されるヒット曲だった。
いつものように主体性のない僕は、多分にもれずビジュアル系の人たちが歌うキャッチーでロック風味の歌謡曲を聴き込んでいて、「これがロックなんだ。マジかっけー」と思い込んでいた。今振り返るとかなり恥ずかしい。
そんな中で、背が高く足が速い男前グループや、2つ3つ上に怖い兄ちゃんがいるツッパリ少年たち(大部分は男前グループと重複してた。)は、少し違うものを聴いていた。ただ、ミッシェルとかブランキーとかコーネリアスとか、そういうやつで、僕が知る限りでハイスタを聞いてる人はいなかった。
けれど、自称”音楽オタク”のタケダ君が来てから、すこし変わった。タケダ君は、2年の夏休みの途中に隣の市から引っ越してきた転校生だった。身長が高かったし、服装もみんなと幾分違ってた。とりあえず、カバンはスポーツブランドじゃなかった。
前にいた中学でバスケ部だったらしく、夏休みの途中から部活に来た。彼が隣の市から人口1万以下の田舎町へ輸入したのが、ハイスタンダードだった。
メチャクチャポップなメロディは、それに純粋な反応を示した田舎の14歳たちの間で、すぐに広まった。
僕がタケダ君に最初に借りたのは、『ANGLY FIST』だった。彼のCDはしばらく、バスケ部の中でぐるぐる回され、そこから男前のスポーツ少年やら非行少年たちに伝わった。すぐに『Growing Up』も流行った。ふと気づいた時には、友達の家に『ANGLY FIST』じゃないCDが置いてあったのを覚えてる。
ほとんどの人が、タケダ君の持っていたのが輸入盤だというのにも気づいてなかったと思う。
少なくとも僕の頭には、「輸入盤」という概念すらなかったし、友達もそんなものは知らなかった。
友達と「なんで、絵(ジャケット)違うんだろ。」「いや、わかんねぇ。」という話をしたような気がする。
さすがにそれが英語で歌われてることはわかったけれど、詞の内容もさっぱりわからなかった。
”California Dreamin’ ”がママス&パパスの曲だと言うのも、全然知らなかった。「へ?カヴァーってなに?」って感じだった。
でも、そんなことはかなりどうでもいいくらい、メロディがよかったし、わけわかんなくてもカッコよかった。
本人たちはメロコアで括られるのが嫌みたいだけれど、やっぱメロコアだと思う。
いま、聴きなおしてみてもやっぱりいい。
昨日は、シモダの送別会をやった。家を出ようとしたところで、ホソダ君とコマダ君に会った。居酒屋に、行く途中で二人が、プレゼントを用意してることを聞いて、「失敗した!」と思った。
7時を少し過ぎて、店に着いた。
少し遅れてくる予定の1年生1人を除いて、みんな席にいた。
最初の一杯目はみんなで生搾り。
だいたい、バスケが終わったあとにいつも同じ店で定食を食べる。
そんなわけで昨日行った店は、ほとんど週1ペースで通ってるような気がする。
何度も通う間に、おっちゃんとのコミュニケーションもかなり簡素化された。
いつからか忘れたけれど、おっちゃんにビールを頼むときにも、「じゃ、7搾り」とか「じゃ、6搾り」とかで通じるようになった。
おっちゃんは「はい、7搾りで。」とか言って、受け答えてくれる。
シモダは春からアメリカに行く。
今の大学を辞めて、向こうの大学に通う。
居心地が良すぎて、ここじゃダメになるような気がして...とか言ってたと思う。
すでに4年間、ここであの大学に通ってしまった僕としては、すごく納得できる話だった。ただ、ちょっと複雑な気分。
6時間くらい、ほとんどくだらない会話をして楽しかった。最後のほうは、いつものようにグダグダで、座敷で寝転がってテレビを見たりしてた。
みんなでコマダ君が買ってきた餞別のスラング辞典に、寄せ書きをしたりした。
最後に、店のおっちゃんに頼んで集合写真を撮ってもらった。
昨日は気づかなかったけれど、昨日の飲み会はとてもよかったような気がする。
”Growing Up”はとてもいい曲だ。泣けるよ。
シモダ、がんばれー。
(...って日記に書いてもしょうがないんだろうけどさ。)
また会うので、今度、餞別のプレゼントを渡そうと思う。
内容(「CDジャーナル」データベースより)
キンクスのコンセプト・アルバムとしては第3弾となる70年の意欲作。リマスタリングによる音質の向上で改めて新鮮に聴けたのと同時に,ローラの別ヴァージョン?,貴重なデモ・ヴァージョンの?と?の追加収録も嬉しく,ファンなら買い直す価値十分。
このレビューは、同タイトルのCDのレビューから転載されています。
キンクスのアルバムは、これ一枚だけしか持ってません。
アルバムの内容自体はそんなに好きじゃないけれど、キンクスの中でも1番か2番くらいに好きな曲が入っていて、とても気に入っています。
”Get back in line”という曲です。
みじめな思いをしながらも、その日を生きるために組合員の列に戻る男を歌った曲です。
聞いているとなんだか切なくなります。
他にも、”A Long Way From Home"とか色々いい曲が入ってます。
つまんねぇ。退屈だ。だるい。しんどい。眠い。
別にそんなわけじゃなく、楽しいわけでもない。
最近、そんな感じだ。何も変化がない。少し勉強の成果が出てきたような気がしても、それも気のせいだと思う程度で、かなりイマイチだ。けっこう焦ってるし。
暇があるなら勉強しようと考えて、日記も書けないでいる。
3月の終わりには、北海道に戻る。
実家に着いたら、仕事を探さなくちゃいけない。
「なんとかなる。」
「努力すれば...」
現実から浮いたままのそんな言葉だけを頼りに、目の前のテキストに向かう。正直言って、いっぱいいっぱいだ。周りの人たちのほとんどが、自立して働き始める中で、親元に寄生しながら勉強しようと考えてる僕にあるのは、全く先の見えない未来だと思う。
明るいのかも、暗いのかもわからない。
色も形も、全然見当つかない。
春から働き始める人たちに、未来が見えてるとは言わない。実際、これから起こることなんて誰にもわからないだろう。彼らや彼女たちにとっても、それは例外じゃない。
そうだとしても、イメージは可能だと思う。
少なくとも、働いてる自分くらいは想像できるんじゃないだろうか。
僕にはできない。
ただ、見えないことは悪いことじゃないと思い込みたい。
下が絶壁だとしてもわからないし、先が行き止まりだとしてもわからない。
命綱がないぶん、自由だ。
どうせ見えないんだから、怖がっても怖がらなくても同じだ。
せいぜい自分のペースで行こうと思う。
内容(「CDジャーナル」データベースより)
79年にリリースされた、3rdアルバムにして最終作品。アナログでは別々だった『シングルズ・ゴーイング・ステディ』の曲を追加収録したお徳用盤。泣きのメロディがじっくりと味わえる。
1800円でCDを6枚借りてきた。というのも、すべて僕の勘違いのせいだ。
今日(昨日の夜)、友達の先輩と飲みに行った。夜、地元の友達との電話を終えてすぐに、電話が鳴った。それが友達の先輩だった。「これから瀬戸田君と飲みに行くんだが、来るかね?」というお誘い。
僕は暇だったので、誘われるままについていくことにした。9時半過ぎに家を出て、遠くのお店まで自転車を漕いでたどり着いたのは、10時ごろだったと思う。
その途中に見えたレンタル屋を指差し、先輩が「今日から100円で借りられるんやぜぇ。(実際は富山弁ではありません)」と言った。友達が帰りに寄ろうと言って、僕も「それいいね。」と同意。
飲み屋を出たのも、10時過ぎだった。結局、僕らは満員の店に入ることさえできなかった。店の裏、5分前にかけた自転車の錠に鍵を指しながら、ここまで自転車を漕いできたのはなんだったのか、という雰囲気が漂う予感がする。
僕は思っていなかった。他の人が思ってたかどうかも疑問だ。
けれど、だいたいにおいて自分の費やした労力が報われないとき、人は空しさを感じるもんだと思う。一人でどんよりした気分と戯れるのは、わりと好きだけれど、集団でどんよりした気分になるのはゴメンだ。
そんなわけで、100円でCD借りれることを前面に押し出し、先輩の責任を少しでも減らそうと試みることにした。
名づけて「いやぁ、それだけでもここまで自転車で来た価値はありますよ」作戦だ。
とりあえず「まぁ、こんな時もありますよねぇ。」という話をしながら、レンタル屋に向かう一同。不幸を笑い飛ばせる雰囲気に、少しばかり安心を覚える。しかし、しょっぱい作戦が通用するほど世の中は甘くなかった。
一枚100円レンタルセールが今日からではないことに気づいたのは、店員が請求額を言った時だった。好きになれない香りのする灰色の息を吐きながら、メガネ店員は言った。「3300円です。」
僕は、焦った。計算できなくなるほどに。そして、「一泊にしてください」と言った後で「あ、やっぱ7泊で」と訂正するという、恥ずかしい真似をしでかす。
友達の分も一緒に借りていたので、勝手に期間を決めるのが悪い気がした。それに6枚を一日で消費できるはずない、と思った。
一連のやり取りの間、店員の口臭が気になっていた。ついてないときは、寛容にもなれないらしい。彼の吐く息の臭さと、僕の勘違いはまったく関係ない。
瀬戸田君にCDを渡しながら、普通の値段だったことを伝える。
「いやぁ、それだけでもここまで自転車で来た価値はありますよ」作戦は、結果、完全に逆に動いた。
「いやぁ、明日からだったか。すまん」と先輩。
実際に、人(先輩)に与えられた情報をどう解釈しようと、自分の行動のつけは、自分で払うべきだ。
例外もあるが少なくともすべてが、”人のせい”ではない。
当たり前のことだ。けれど、やはり誰かに責任を擦り付けたくなる。全く関係ない店員の口臭を許せないくらいなんだから、あやまる先輩を前にすれば、「先輩のせいだ」とか「先輩にだまされた」と考えるのは簡単だった。
ただ、そんなふうに「被害妄想に陥る人」だと規定されるのはいやだった。それを否定するために必死に善人ぶる。
「まぁこんなこともありますよ、いやぁ、うかれすぎました。明日からだって全然気づかなかったわ」とかなんとか言いつつ先輩のフォロー、そして自分の不注意を主張しとく。
妄想を妄想で塗り替えつつ、平穏を保つ。
これまた妄想が作り上げた空気のせいにしながら。
その後、2時半まで別の店で飲んだ。酒も手伝って、1時間も文化や経済について議論した。とりとめのない会話のほうが個人的には好きだけれど、たまには真面目な話も楽しい。勉強になった。
現時刻は5時15分。バズコックスを聞きながら日記。
これを聞いてると、空気がどうのこうの書いた上の文章が、ホントにどうでもいいもんだと思えてくる。
早く寝とけ、このバカチンが...
『A Different Kind Of Tension/Singles Going Steady』
上の「CDジャーナル」のレビューは、すこし間違ってるみたいです。
彼らは、90年代に再結成をして4枚目も出しているので、この作品が最後の作品ではないと思います。
もしかしたら、再結成後の作品は、あえて視野に入れずに書いたのかもしれないです。
これ一枚で、1800円以上の価値はあります。少なくとも僕には。
メンバーみんなオカマらしいです(自信はないです...)
音とかメロディとかめちゃめちゃポップでかっこいい。
わかりやすいのはいいね。
好きなパンクバンドBEST3
とりあえずクラッシュとバズコックスに決定。
もう一つは順位がつけれないです。
ワイアー、ラモーンズ、テレビジョン、どれだろうか...
ピストルズは嫌いじゃないけれど、入らない。
追いだされ、追い出され。
2005年2月13日 音楽Amazon.co.jp
サイケデリックの仮面をかぶったラッパー、MFドューム(言うまでもなく他にもキング・ギドラやビクトル・ボーンといった別名義がある)として再び生まれ変わったダニエル・デュミル――元KMDのZev Love X――は、これまた別名義での活動経験(クァジーモド、イエスタデイズ・ニュー・クインテット)があるプロデューサーのマッドリヴとチームを組んだ。そんな本作では、最近のラップにおける基本公式は捨て去られている。
全22曲の大半は約2分のトラックで、その多くがドュームが口ずさむ長いワン・ヴァースによって構成されている。マッドリヴより上手に、ジャズのスタンダードを切り刻んでSP 1200を注入したサウンドへと再構築できるアーティストは他にいない。「Strange Ways」の歌うようなストリングスと予想不可能なテンポの変化、「Accordion」の熱狂のアコーディオン・サウンドは、ジャズのレコードのような肌触りを伝えてくれる。音の細かい断片を寄せ集めることへのマッドリヴの偏愛ぶりには少々退屈させられるかもしれない。だがドュームが語る今にも狂気に陥りそうな男の自虐的な物語は、非凡な才能と狂気がひとつ残らず1本の太いマリファナ煙草に込められているようだ。そして「America’s Most Blunted」では「マリファナ煙草の最高峰として推薦された」ことにほくそ笑んでいる。また「Rainbows」はデュームは歌うべきでないことを証明しているが、スクラッチを効かせた物憂げなフロウは聴けば聴くほど味が出る――ドュームにはキリスト教徒たちが「ああ、主よ」と言うよりも多くのリリックが備わっているのだ。本作は脳細胞を焼き上げてくれるラップであり、言うまでもなくマッドビランが求めているのはサウンドをところどころ上手に料理して仕上げることだ。(Dalton Higgins, Amazon.com)
友達に借りました。
ここ一ヶ月かなりの頻度で聞いてるような気がします。
オサレで知的、そんでもって敷居は高すぎないアルバムじゃないかと。
”Raid”とか、”Fancy Clown”とかが好きです。
一度聞くと耳に残って、ループして、また聞きたくなります。
かっちょええっす。
今日は、追い出しコンパ追いコンだった。
僕は4年なので、追い出される役。下級生が追い出す役。
昼間は、練習試合をしたのだけれど、一勝もできなかった。
帰りの車で情けない気分になる。
6時から追いコン。楽しかった。
途中、「卒業生の言葉」のコーナーが終わった後、プレゼントをもらった。僕はデストロイヤーマスク、ホソダ君が乳の形をしたクッション、コマダ君はアフロのヅラだった。
それぞれにリアクションしつつ写真撮影。
うかれる、うかれる。ホソダ君の乳クッションは好評だった。
よくわからないけれど、みんな揉んでた。
移動、いつもの居酒屋に。
そこからOBの先輩が来て、熱燗攻撃に合った。
3本、3本、5本と頼む先輩。お猪口に注がれるたびに「湧いた湧いた」とか言ってはしゃぎながら、飲む→飲む→飲む。
そしていっぱいいっぱいになる。楽しかったが、店を出る頃にはヘロヘロになっていた。
そんなこんなで、駐車場に集まる面々。僕は、立ってるのがキツかったので、コンクリートに膝を突いてみんなの話を聞いてた。
気持ち悪い、早く帰りたい。と正直に主張する。
とにかく布団で寝たかった
願い叶って解散。
僕は、コマダ君とホソダ君と先輩と帰った。
先輩と別れた後、「3次会、なかったな」という話になる。
歩く内に、このまま終わるのもなんだか寂しいなという気分になってきた。
そんなこんなで、俺の家に集ういつもの3人。
三者三様に、フレッシュなガールに酔っ払ったまま電話しなければいけないという、おかしな雰囲気になる。
相当に厳つい作業を乗り越え、石田さんと飲むに至る。
4時ごろまで、お茶を飲みながら楽しく笑って解散した。
しっかり追い出された感じだ。
けれど、たぶん明日からの練習にも参加すると思う。
追記
悪いことしました、ごめん。
Greatest Hits
2005年2月11日 音楽Album Details
Debut album from the eighteen piece Cardiff rap troupe. The GLC claim influences through their modifications of songs from artists such as So Solid Crew, The Streets and...Paul Gascoigne. Tracks tackle topics such as their Welsh heritage, irrelevance of American rappers, gun control and the allure of drugs (the last of which is a recurring theme throughout). Technically proficient but with a definite tongue in cheek. Atlantic. 2004.
イギリスのヒップホップグループ、”Goldie Lookin Chain”のアルバム
脱力感が好きです。
詞はお下劣だけれど、音と一緒で、すごく間抜けな感じが逆にいいです。
これで確信犯じゃなかったら、それはそれでこの人たちはヤバイような気がします。
1983年から活動してるらしいです。ネットで6枚のアルバムを発表していて、それでメジャー契約後、一枚目のアルバムにもかかわらず、そのタイトルが「グレイテスト・ヒッツ」なわけです。
11日は発表だった。9時ごろから、発表を見た後、途中で抜けて質問されそうなところをチェック。
お昼に先生がみんなに2個づつ買ってくれたコンビニオニギリをジャンケンで勝った人から選んでいって、食べた。
その後は午後一番で、発表。
とても緊張していた。
「こんな時こそカナダエスキモーを見習い余裕を見せよう。」と逆境を楽しもうと努めるも、内心は「うぎゃーやべーよ、ギャハハハハ、どうしようもねーな」ってな具合に、バクバクドキドキだった。
イスに座っているのが苦痛で、立ち上がってアホみたいに叫びだしたくなった。
いや大げさか、そんなに緊張してないけれど、ただ早く終わって欲しかった。
発表。
先生に誉められた。非常によく書けてましたってさ。ひひひ。
頑張って良かったのう、自分。
質問に答えられなかった。
全然考えてなかった部分に、意見を求められていっぱいいっぱいになる。
そんなこんなで、発表終わり
夕方まで友達の発表などを見た後、6時に打ち上げに行く。
去年から今年にかけて、何度も打ち上げをした。
だいぶ、打ち上げすぎた感はあるけれど、この日の打ち上げも楽しかった。
ゼミにはアルコールを飲む人が少ない。
その日は、ほとんどの人が飲まないようだった。先生が「なんだよ、最後なのに誰も飲まないのかよ...」と寂しそうに言うので、僕も先生に付き合って飲むことにした。
その日に行ったのは、少し高めの天麩羅屋で、僕には敷居が高い店だった。コース料理をお願いしたのだけれど、期待以上に料理が出てきてビックリした。
もう出尽くしたか、と思う頃に次の料理が運ばれてくる。
それが何度も続いた。どれも美味しかったけれど、「キムチ入り玉子焼き」が出て、少しした後に「明石風スープオムレツ」が出たので、ちょっと参った。
「もう卵はいりませぬ」と、態度を言葉に表したくなった頃、僕のほうに残ったオムレツが回ってくる。いつもこんな役回りだ。
食べるのがすきなので別にいいけれど、僕は実家でも残った料理を平らげるポジションだ。
そんなおかげで22年間の間に、染み付いてしまった癖がある。
「食べ物を残すことができない」というものだ。
あまり悪くないことかもしれないけれど、たまに無理して食べてしまう時があって困る。
周りの人たちは、僕をよく食べる人だと思い込む。
それはウソではないんだけれど、本当のことを言えば、「よく食べる人」ではなく「よく食べれる人」だと思う
たまに家族を含めた他の人が、残しても大学4年生が食べるから大丈夫だという空気を作り出してしまう。
それはたまに、大学4年生はよく食べるから、ヤツのために残しておこうということにもなる。
たしかに僕は卑しいけれど、他に食べたい人を差し置いてまで、食べたいとは思わない。
それを言えばいいんだろうけれど、食べたくないわけでもないから食べてしまう。。。。ってなんだかわけわからんね。
食べたい時に食べて、食べたくない時に食べなくて済むようになればいいんだけど。
癖と人間関係が相まって、なんか小さい悩みはなかなか解決しない。
天麩羅屋を出た後は、東京から通ってきてる赤井さんをバスセンターまで送っていった。
8人で...先生が「最後だし、みんなでバスセンターまで送ろう」言い出して、そりゃ面白いねってな感じで9人、バスセンターまで歩いて行った。
バス停にはバスが止まっていて、出発時間になりそうだった。
自転車を押し歩いてた水田さんが、自転車を漕いで先に行ってバスを止めておいて、赤井さんが駆け足で乗り込んだ。
みんなでバスに乗る赤井さんに手を振って、見送った後「いよいよ、終わりか」と思ったとき、先生が「まだ部屋はきれいだし、家に来るかい?」と誘ってくれた。
そんなわけで、用事のある小畑君以外の7人で、飲み物やお菓子を買いにスーパーに寄った後に先生のお部屋におじゃました。
ずっと先生の話を聞いてる感じだったけれど、興味深い話が聞けて面白かった。
帰り。最後まで残った4人で、先生の住むアパートの部屋から、大学までの道のりを歩いたあと、水田さんと清田さんと別れた。
岡田さんを送るように言われたので、家まで送った。
自転車を漕ぎながら、「もうゼミないんだよね。」という話をした。
フランシス・ザ・ミュート
2005年2月7日 音楽
マーズボルタの2枚目、注文したけれど、届くのが遅くなりそうなのでコマダ君に借りた。
「きっと聞いてもわけわからんだろうし、かるくびびるよ」と話すと言われました。
理解するんじゃなくて感じるんだって。
「そういえば、リーも言ってたよな。」と思い、臆せず聞いてみることに。
本日拝借、拝聴。
ツェッペリン+キューバ音楽+ファンク+パンク、そんなこんなの圧倒的な音の融合する中、なんやら重くて、妖艶な、わけのわからん生物が蠢いておりますよ、この作品。
(↑全然違うよ、と言われてもしょうがないです。つーか、俺には言葉で表現できません。)
こんなアルバム作れるバンドは、他にいなさそう。
マジカッコイイやんす、そしてわけがわからないです。
アフロにしたくなること間違いなし。
でも、髪を伸ばすのが大変なんだよねぇ。
追記
今日は、バスケに行った。終わってメシ。
いつも行く居酒屋が、ポイントカードと日替わり定食を始めていた。
素晴らしいぜ、おっちゃん。
そして、それよりもなによりもマーズボルタ、やっぱかっこいい。
「きっと聞いてもわけわからんだろうし、かるくびびるよ」と話すと言われました。
理解するんじゃなくて感じるんだって。
「そういえば、リーも言ってたよな。」と思い、臆せず聞いてみることに。
本日拝借、拝聴。
ツェッペリン+キューバ音楽+ファンク+パンク、そんなこんなの圧倒的な音の融合する中、なんやら重くて、妖艶な、わけのわからん生物が蠢いておりますよ、この作品。
(↑全然違うよ、と言われてもしょうがないです。つーか、俺には言葉で表現できません。)
こんなアルバム作れるバンドは、他にいなさそう。
マジカッコイイやんす、そしてわけがわからないです。
アフロにしたくなること間違いなし。
でも、髪を伸ばすのが大変なんだよねぇ。
追記
今日は、バスケに行った。終わってメシ。
いつも行く居酒屋が、ポイントカードと日替わり定食を始めていた。
素晴らしいぜ、おっちゃん。
そして、それよりもなによりもマーズボルタ、やっぱかっこいい。
Live at the Harlem Square Club, 1963
2005年2月4日 音楽内容(「CDジャーナル」データベースより)
死して20年以上経った今,サム・クックの人気が急上昇しているというのはなんとも不思議なことであるが,冷静に考えれば,あのオーティスでさえサムをアイドルにしていたのだから,やっと本物が理解されたというべきか。きっかけとなった63年のライブ。
このレビューは、同タイトルのCDのレビューから転載されています。
昨日の朝、やっと卒論が完成した。1月27日の提出日には、第4章の清書が終わってなくて、終わったにもかかわらず逆に凹んだけれど、今日はとても幸せだった。
幸せな時は、周りの人たちみんなが愛しく思えてくる。
花びらを敷き詰めた道を歩きながら、馬鹿みたいに笑う。
リノリウムの廊下もコンクリートの道路も道をはずれたところの芝生も、歩くたびに跳ねたくなるほどに、ふわふわしてた。
間違いなく、幸せだ。
半脱獄生活は終わり、僕は足かせをはずして、街を出る。
昼にみんなで集まって論文集を作った。
夜に先生の家に行って、先生の作った中華料理を食べた。
カシューナッツ炒め、牛肉とにんにくの芽の炒め物、小松菜と干しえびの炒め物。
先生が作った料理を、みんなで片っ端から平らげていく。
あまりにもおいしかったせいで、水田さんなんかは「幸せやわ〜」とか言いつつ、目をうるうるさせてた。
アルコールとか飲みつつ、語らう。
テレビでは「ドラえもん」が流れてて、のびたはいつもどおり紺色の短パンに黄色いシャツ。
途中、先生から言われたことで、心が弛んで、みんなの前でポロポロと涙を流してしまった。
恥ずかしかったけれど、誰も笑ったりしなかった。
気づかないフリをしてくれたり、微笑んでくれたりした。
人前で泣くのは、ダメだよなぁ、と思いつつスウェットの袖で涙や鼻水を拭いながら、先生が作ったチャーハンを食べた。
9時ごろに先生の家を後にして、研究室で少し休憩。
10時頃に帰宅した。
家に着いて、ちょっとお腹が空いたので、ローソンで買ったいなり寿司を食べながら、自分でお茶を淹れて飲んだ。
マンガを読みながら、今日はとても幸せな一日だと思った。
Amazon.co.jp
前作『心の詩』でアーティストとしてのアイデンティティを確立したスティービーが、その才能を全開に発揮した1972年発表の大傑作。『キー・オブ・ライフ』まで続く怒涛の最高傑作発表リレーの幕開けを飾るアルバムである
。世にまれな完璧な曲の1つと言ってよいであろう、自ら奏でるクラヴィネットが粘りつくファンキーなミディアム・テンポの、軽やかでポップな、揺れるシンセが官能的な、ジェフ・ベックにもカヴァーされた代表曲の1つ、そのベックのギター・ソロが地味過ぎず派手すぎず絶妙な隠れた名曲など。(麻路 稔)
昨日、ゼミの人たちと4人でサラダを食べに行った。
野菜まつりの話になったのは卒論を提出する前、僕がたまたまサラダを売ってもらった日だった。
その日まで、1週間以上も野菜メインの料理を食べていなかった僕は、清田さんがコンビニで買って食べてなかったサラダを、パンと一緒に売ってもらった。
そして、そのツナサラダを食べて気づいた。
野菜はとてもおいしいということに...
フォークで刺す→お口に運ぶ→野菜うまい→テンションが上がる→世界の中心で野菜のうまさを叫ぶ→もっと食べたい→同意を得る。
僕を含めた阿呆田家の人たちは、そんなこんなで上のように単純なプロセスを経て、「俺たちに欠けてるのは野菜だ、卒論の締め切りが終わったら食いに行こう」という話になった。
そして念願叶って昨日、卓上に並んだ4つのサラダ。
やはり野菜はうまかった。
途中、清田さんの顔を見ていた水田さんが、「この顔ももう見れんくなるやなぁ」とか言って、ちょっとなんだか寂しい雰囲気が漂った。「みんなでデッカイ事して遊びたいなぁ」という話になる。
いろいろな意見が出た後、「山のほうにある温泉まで歩いて行こう」という案が出た。
4人。乗る、乗る、乗る、乗るってな具合にみんなで「そりゃいいね」と同意。
きついと感じる人は乗り物に乗っていけばいいし、そうしよう。ということになった。
「今度のゼミまでに残りの4人にも、聞いてみよう。」ってことで別れた。
帰宅、睡眠。昼に起きる。
今日は昼からバイトだった。バイトに出れなくなった人の代わりに出た。
その後は、差し替えのために卒研。31日の25時を、少し過ぎて帰ってきた。
追記
昨日、清田さんにお前はいい奴だと言われた。うれしかった。
けれど、やっぱ僕はいい人ではないと思う。
誰かが嫌がることはあまりやりたくないし、なるべくなら他の人には親切に接したいと思う。
けれど、それは善意じゃない。ただ単に、嫌われたくなくて、好かれたいだけだ。
たまに、誰かに優しくしたり好意を示したりする時に、つまらないジョークを言ってその場を濁そうとする時がある。
あなたが好きですよ、っていうのが恥ずかしいのと同じように、好きな人たちに優しくするのは恥ずかしい、堂々とはできない。
どうしても照れくさいっていうのが一つの理由だと思う。
もう一つは、”いい人になることに罪悪感があるから”だと思う。
普段、ほとんど意識に表面化されないけれど、僕にもずるい部分や、したたかな部分がある。
単純に人のために動いたりしない。
誰かに善意だと思われてる行為のほとんどが、自分のためなんじゃないだろうか。
だから、誰かにいい人だと言われると、嬉しい反面「違うんだけどなぁ」と考える。
自分のために良い事をするのは恥ずかしくないけれど、自分のためにやった良い事のおかげで善人だと思われる状況を作りだしちゃってる自分は、やっぱり恥ずかしい。
最近、読んでる本から引用。
自分がなにかを善意でやったと思う人は、善意とは何かを一度考えてみるといい。たいていは自分の気なぐさみということになるであろう。善意を「信ずる」のは、信仰の自由と同じ意味で自由だが、実在するかどうかは、また別問題だ。善意とは、エゴイズムの所産である。(『極限の民族』)
善意がないとは思わない。けれど、誰かに知られる領域での善行には、やっぱり疑いを持つべきだと思う。
どうせ良い事をするなら”したたかさ”とか”ずるさ”とかそういうものとは距離を置いた場所(ex.みんなのいないところ)で、すべきなのかもしれない。
たぶん、やんないだろうけど...
たまに誰もいないところで良い事をやってみる時がある。
でも、それでなんだかちょっと良い気分になってしまう。
やっぱり、それが気なぐさみなんだと思う。
自意識過剰な僕には、誰かに優しくするのは恥ずかしい。
照れずに好意が表せるようになりたいです。
なんて、こんな告白も良い人宣言になるもんねぇ。
ん〜、いっそのことイメージアップ戦略だってことを言っちゃえばいいのかもしれない。
ただその場合は、ちょっとかっこ悪い。
ん〜、むずい...ってただの考えすぎか。
このCDについて
ヘヴィネスと豊潤なメロディをたたえ、ドラマチックに展開するロック・ワールド。欧米プレスに“ロックの未来”と称されるトレイル・オブ・デッドによるメジャー第2弾。アルバム全体を通して、映像美すら感じさせる圧倒的な世界観と美学とミュージシャンシップに貫かれたロックがつづられる。テキサスのプラノーという広大な牧場が広がる小さな街出身の彼ら。レコーディングでもライブでも、担当楽器やヴォーカルを固定しせず、バンド全員がフロント・マンというユニークで自由なアプローチを取っている。日本先行発売、ボーナス・トラック3曲収録。
自分自身を嫌悪し続けたい人はこの世にいないと思う。もしかしたら、広い世界には進んで自己嫌悪に陥ろうとする人もいるかもしれないが、それも自己批評をすることで自分を好きになるための作業のような気がする。
少なくとも、僕は自分を嫌いでいたくはない。
昨日は、卒論の提出日だった。10時半にゼミで集まり卒論の形式を整えた後、15時ごろ提出しに行った。
卒論を書き上げたのは、10時半ごろ。結局僕は最後まで、卒論をいじくっていた。2日間、ほとんど寝ていなかったので、とても疲れた。
10時を回るころには、印刷を終えた人もポツポツと現れ始めていた。
その中には、晴れ晴れした様子で「生みの苦しみは大きかったけれど、喜びはもっと大きいよ。」とか「出来の悪い子でもかわいい」というようなことを言う人もいて、僕は印刷をとても楽しみにしていた。
実際、完成して印刷を終えた卒論をファイルに挟むことを想像しただけで、嬉しくなったりした。
僕が印刷を終えて、表紙を貼ったファイルに論文を挟んだのは、13時ごろだったと思う。
正直に言えば、なにも感動が起きなかった。
達成感はありそうにもなさそうにも感じられる程度だったし、生みの喜びというのもなかった。
むしろ、終わった後に感じたのは空しさだったと思う。
論文を書き上げるために自分なりに努力したつもりだった。
全く、後悔はしていない。
ただ、あれだけ労力を費やして書き上げたはずの論文は、その出来の悪さのおかげで、何よりも自分の劣った部分を顕在化したものに思えた。
晴れ晴れした気分ではあったけれど、それと同時に最低に乾いた気分だった。たぶん、疲れていたのもあると思う。
提出後、まだ帰らずにゼミ室に残っていた人たちと、2時間ほどだらだらと過ごした。僕には、みんなに清々しい達成感があるように見えた。それと同時に、僕を含めたそこにいた人には、帰りたくない気持ちもあったと思う。
研究室を離れて、家に着けば、寂しさを感じるような気がしてた。
まだ、発表は終わっていないけれど、卒論はほとんど終わったようなもんだ。そうすれば、みんなで会う機会は確実に減る。
夕方、家に着いて、友達からメールがあった。
今日飲まないかね?という誘われたので、行くと返事した。
けれど、寝過ごして23時に目が覚めた。あわててメールを送るが、「もう終わり際だから、またの機会に飲もうぜ。」とのこと。
あきらめる。なにかしようと思って、とりあえず起きた。
卒論が終われば、しばらく休もうと思っていた。
けれど、ライナーを読みながらゆっくりCDを聞いたり、読みかけの本を読んでみたりしても、気分が落ち着かない。
気持ちに余裕がなくて休む気になれなかった。
少しサボれば、自己嫌悪に陥る。ホントに病気だと思う。
なにか目標を達成するために努力をしてる間は、自己嫌悪から解放される。だからこそ、卒論に力を入れていたのかもしれない
サボるためには努力しなきゃいけない。
そうしないと僕は凹むし、その先にはどうしようもなく惨めな人生が待ってるような気がする。
努力した先に惨めじゃない人生が待ってるとは思えない。
けれど、そうだとしても、惨めな状況を避ける努力を続けていきたい。それに、起こってもいないことに悲観的になるのも嫌だ。
それは、現実を見ないって意味じゃない。
シャワーを浴びてる間に、書き換えたい部分を思いついて、結局、今大学にいる。もうすぐ4時。2時ごろ、歩いてきた。
自分に対する小さな褒美として、途中コンビニで食べたいものを買って、さっき食べた。
やっぱりあともう少し卒研をがんばろうと思う。
ただ、その間に12月からほったらかしだった勉強も再開するつもりだ。
一足飛びでの変化は期待しない、のんびり行こう。
自分の未熟さを認めても、それと和解するのは嫌だ。
あんまり焦らずに変化していこうと思う。
...ちょっと青すぎたかも。
追記
ちょっとレビュー。
この作品には、ダイナミズムがあると思う。
美しくて、力強くて、すこし大仰な部分もあるけれど、初期衝動を含んだ洗練されない部分があって、聴いていてとても惹きつけられる。
僕は、傑作だと思います。
耽美派な人にも、マッチョな人にもおすすめです。
フォーエヴァー・チェンジズ
2005年1月24日 音楽内容(「CDジャーナル」データベースより)
60年代西海岸ロックのアンダーグラウンドの主役だった{ラヴ}の代表作がデラックス・エディションで復刻。サイケ、フォーク、パンクなどの要素を取り込んだ独自の音楽性が花開く。
朝が来れば起きて新しい一日を始める
昨日と同じ、おとといと同じ、いつも同じ
ずっと毎日が同じくりかえしなのさ
だからガムを噛みながら一生懸命生きている
あぁ、だけど人生は飽きるほどのくりかえし
日が昇るのを待ち続ける
”The Daily Planet”
今日の夜届いたCD、やっぱいい。
引用した詩は気に入った曲からです。それとはあんまり関係ないようだけれど、レビューには、「ラブ&ピース」最盛期からシーンが下降に向かい始める1967年の空気を、最もよく表わした作品だとかそんなようなことが書いていました。
60年代や70年代はやっぱ魅力的に映る、けれどそれ以上に今の音楽も面白いと思うし、今の時代に生きてて良かったと思う。
2004年に1967年の作品は聞けるけど、1967年に2004年の作品は聞けない。
昔の作品を聞いていて得られる感動と今の作品を聞いて得られる感動は、すこし異質なような気がする。けっこうそれが楽しい。
今日は3時に寝た、インターホンで8時に起きる。
卒論はいまだ完成せず。だいたいは書けたけれど、いまだ完成度を上げてる段階。27日までがんばろう。
昼に学食の前で会った友達二人は、どちらも終わったらしい。
うらやましいです。
最近、卒研がかなり楽しい。塗り絵の黒い線で仕切られた部分を自分なりに塗りつぶしてる感じ。
もう下書きの段階で凸凹と歪んだ線で書かれた絵だし、自分の色選びにもまったく自信はないし、たまにその塗り絵をほったらかしたくなるけれど。
その枠に沿って綺麗に塗れた時は、とてもうれしい気分なる。
あと3日間で、出さなきゃいけない。
今日提出する人もいるみたいだ。
もう少し、がんばろう。
追記
今日、論文をファイルに挟む話をした時に、想像してとても嬉しくなった。
論文に愛着が湧いてる証拠?
とにかく、ファイルに入れるのが楽しみだ。
Brother, Brother, Brother
2005年1月10日 音楽Album Details
Unavailable in the U.S., this is a German reissue of theirtop 30 1972 album featuring the top 30 smash ’Pop ThatThang’ & the hit ’Work To Do’. Eight tracks total.
僕は、キャロル・キングがけっこう好きです。
トッドラングレンも一枚しか聴いたことがないけど、好きです。
アイズレーブラザーズのこのアルバムは、彼らがオリジナルなスタイルを確立し始めた時期の作品らしいです。
かなりポップだけれど、時代の影響をモロに受けている感じ。
トッド・ラングレンの『Something/Anything?』が1972年、キャロル・キングの『つづれおり』が1971年、このアルバムからはすごく二つのアルバムに通じるものを感じる。
それは、きっと方法論的に似ているからではないだろうか。
推測に過ぎないけれど、それらの作品は、ヒット曲を書くための方程式のようなものを見つけたアーティストたちが、その方程式に則って作り上げた作品なんじゃないだろうか。
トッド・ラングレンは、そういう方法を用いて作り上げた最後の作品として、『Something/Anything?』を揚げていたような気がする。彼は、以降、より実験的な方向に移っていく。
そのままヒット曲を書き続けようとしなかったのは、それがつまらないからだと言っていた。(たぶん)
たしかに作り手にとってはつまらないだろう。
型に流し込む作業は、単純だ。
(普通の人には、型自体が作れないだろうけど。)
でも、やっぱいい物はいいわけで、耳ざわりのいい曲の詰まったポップなアルバムは、いつの時代も重宝されると思う。
このアルバムも、その重宝される一枚に入るんじゃないだろうか。
違うかもしれないので、信用しないでください。
...って、心配ないか。
今日は、10時に起きた。11時に甥姪と両親が戻ってきた。
その後、みんなでプラネタリウムを見に行く。
帰りにカレー屋で遅めの昼ごはんを食べて、夕方に遊具で遊ぶ子どもを監視して、鯉に餌をやったりして、家に戻って、時間が経ってから、母親とスーパーに買い物に出て、家に戻って、ごはんを食べてのんびりして、今は研究室。
眠い。6日に一度うちで寝た時に、姪っ子が布団を濡らしたので、布団が足りなかった。
7日の朝に起きた時、彼女の第1声は「みっちゃん(俺の母親)、お布団濡れてるよー!」だった。
濡らしたのは本人である。
ここ2、3日卒業研究をほったらかしていたのもあって、研究室で一晩を過ごすことにした。
すでに眠い。日記を書くのが途中から面倒になるくらい。
追記
現在、11日の11時。みんなが帰った。
僕は朝の9時ごろまで研究室にいて、その間に、ウトウトしたり、本を読んだり、少し卒研をしたりした。
朝ごはんは、母親が作ったものをみんなと一緒に食べた。
タクシーに乗るみんなを見送った。部屋に戻ると、テレビのほうから音が聞こえてた。
テレビはつけっぱなしだった。
姪っ子が見てた教育番組がわりと陽気な音を流してた。
よく寝てないから当たり前だけど、未だに眠い。
内容(「CDジャーナル」データベースより)
力強いメッセージと胸に響くメロディ。バンド・グルーヴで唯一無二の存在感を示す彼らのニュー・アルバムが完成。「ダイヤモンド」「天体観測」ほか、珠玉のヒット・シングルを網羅した大作だ。
今日は、10時におきた。
2時にゼミの友達と約束していたので、カラオケに行く。
お店の前には、清田さんしかいなかった。
中田さんは30分後に着くとのことだったので、近くの公園で時間をつぶして、中田さんを待つことにした。
公園には、池と展望台があった。
清田さんも、俺も長いこと近くに住んでいるにもかかわらず、その公園を歩いたのは、初めてだった。
そんなわけで、展望台に登ったことも当然のようになかった。
自然と池に足が向かい、少し鯉を見た後、やることもなかったので展望台に上がってみることにした。
切符売りのオジさんに100yenを払い、半券を受け取ってエレベータに乗る。
エレベータの着いたところから周りを見渡す。
池の鯉は、上から見てもずいぶん大きく見えた。
大きく見えるくらい、展望台が低いものだっただけかもしれない。
二人の間に、「あぁ、こんなもんだよな」的な空気が流れる。
エレベータ前に戻った時に、上に上がる階段に気づいた。
かるく盛り上がる、あわい期待を抱きつつ、階段を上がる。
気分は2段飛ばし、けれど1段ずつ。
頂上からの景色もさほどではなかった。けれど、南の方向に牛久の大仏が、それが大仏かどうかを識別するのも難しいくらいに小さく見えた。
しかし、俄然テンションが上がる。
「え!あれ、大仏じゃないすか?ね、やっぱ大仏っすよ?」みたいなセリフを、興奮気味に何回か叫んだような気がする。
そっからまたやることもなくなったので、下を見ながら、中田さんを探した。
清田さんが言う。「あれ、中田さんでしょ。」
それは中田さんではなく、オッサンだった。
その後、もう一回くらい清田さんが中田さんとオッサンを間違えた後、道路を見ていると本物の中田さんらしき人が見えたので「あれだ、あれっすよ、中田さんですよね。」みたいなことを言った。
中田さんらしき人は、カラオケの前に自転車を置いた。
僕らは、中田さんに電話をした。自転車をとめたのは、やはり中田さんだった。
「今、着いたでしょ?俺らからは見えてますよ」ってことを言って、きょろきょろと周りを見渡す中田さんを少し楽しんだ後、二人で上から手を振って中田さんに気づいてもらう。
下に降りて、中田さんに会う。
「おれら公園デートしてきたよ。」ということを言うと、”あそこに登ったカップルは別れる”っていうジンクスがあるらしいよ、ということを言われる。
少なくとも俺らは、カップルじゃない。
二人とも男だす。
2時半から8時まで歌った。
途中、父親から電話があって、今日は戻れないという話を聞く。
水田さんは、17時ごろ来た。
いつもとは髪型が違って新鮮だった。占いで、髪型を変えるといい、という結果が出たらしい。
3人で誉めた。水田さんは、いつも活発な印象がある。
髪型が違うだけなのに、いつもよりなんだか清楚に見えた。
ただ、僕も含めた先に来ていた3人は、すでにヘトヘトだった。
始めは楽しみに来たはずなのに、かなりダルダルで仕事をこなしている時のような雰囲気が、部屋を満たしていたように思う。
最後のほうは、頑張るくらいなら帰ればいいのに「あと30分だぜ、がんばろう」などとわけのわからない励ましを言うような耐久レース状態で、おかしなテンションになった。
けれど、約5時間半けっこう楽しかった。
あまりカラオケで楽しめたことはないけど、今日はとくに楽しかったと思う。
カラオケを出て、「お腹が減ったね」という話になる。
スーパーに買い物に行って、鍋をすることした。
卒研をやってる知り合いやらを呼んで、10人ほど集まる。
これまた、良かった。鍋はおいしくて、楽しかった。
たまたま研究室に会った『シルクロード』のビデオを流しながら、鍋を食べるという、もはやわけのわからない状況だったけれど、取り留めのない展開とノリが、すごく大学生っぽくて、よかった。
1時半に解散。寒い中をみんなで、自転車を漕いで帰った。
集団下校。水田さんが「うわー、めっちゃ星きれいやんな、オリオン座、メッチャきれいに見えるで」とかなんとか言って空を見たので、僕もつられて空を見た。
夜空には雲がなく、晴れた空でオリオン座を含めたたくさんの星が、しっかりと輝いて見えた。
...とかいう感じのちょいとした青春。
とても楽しい日だった。
内容(「CDジャーナル」データベースより)
シルベスター・スタローンを一躍スターダムにのし上げた「ロッキー」のサントラ盤。{やれば出来る}というアメリカン・ドリームを現代に描いたこの映画,全世界で大ヒットを記録した。ビル・コンティのテーマ音楽も力強く感動的に取り入れられていた。
デーモンゴフは言ってました、「音楽は人生のサントラにすぎないんだ。」って。
そんなふうに指摘されていても、詞や音から、自分にとっての大きな意味を見いだそうとしてしまうところが悲しいところで、それを自覚していてもやはり考えてしまう。
「もしかしたら、意味があるんじゃないだろうか」と
「自分にとって、音楽が意味するものは、とても大切なんじゃないだろうか」、「意味するものってなんだろうか」と。
でも、それがわかったとしても、わからないとしても、きっと生活は変わんないと思う。
悲しいけれど、かなりどうでもいいことだ。
この日記にこんな事を書いてること自体が...
ロッキーのサントラをこの前借りてきました。
たしかロッキーがアポロに勝ったあとのシーンで流れる、”The Final Bell”が好きです。
馬鹿なら馬鹿なりにつかむ栄光もあるよね、たぶん。
俺もがんばろう、と思いました。
今日は10じに目が覚めた、なんやら気分が優れず。
黒に近い灰色で、11時までを過ごす。腐る。
12時になる前に支度、腐った部分を少し切り落として、家を出た。
バイト。監視員室の壁にかかるカレンダーを見て、ホソダ君の誕生日がすでに2日前に終わっていることに気づいた。
「あ、やべ」と思った。今日、祝う決意をする。
バイトはいつもどおり。家に帰って、コマダ君に電話をする。
大学で集合して、ゼミ室で研究をしているホソダ君を祝うことにした。
ケーキはコマダ君が買ってきた不二家ケーキ。
プレゼントは、写真をあげることにした。ホソダ写真集(撮影 俺+その他の人々。)
大学に行く途中、文房具屋で一番無難なデザインのアルバムを買って、入れて、渡した。
自分の写真ばかりのアルバムはちょい気持ち悪い、というもっともな意見をコマダ君にもらったが、まぁいいやと思って渡した。
ホソダ君は普通に喜んでくれた。
ケーキを食べて、一杯飲んで、喋って解散。
二人と賭けの約束をした。ホソダ君とひとつ、コマダ君と二つ。
恥ずかしいし個人的なことだから書かないけれど、けっこう青い賭け。
とくにコマダ君との賭けの結果は気になる。
どっちが勝つだろうか。
俺は負けたくないし、向こうも負けないでほしいと思う。
...くさすぎたかもしれない。
今は研究室。さっき、おモチをもらった。
腹減ったところに差し入れ、「うきゃー、よかったよかった。」と静かに浮かれる。
食らう、お礼の言葉をEメールで伝える。
今年はがんばるぞー、と再度意気込んでみる。
IT WAS WRITTEN
2005年1月6日 音楽内容(「CDジャーナル」データベースより)
全米アルバム・チャート初登場1位の快挙となったセカンド。前作より明るいトーンの聴きやすい作りだが,絶望スレスレで踏ん張るNASのスタンスは不変。憂いを含んだ訴えかけは依然,深遠だ。西の大将,ドクター・ドレーとの共演曲?も話題。★
7時半ごろに目が覚めた。
いつもどおり支度した後、部屋を片付けて、掃除機をかけた。
家を出る。
外は寒かった、たしか8時半ごろだったと思うけれど、自転車を漕いでいると、鼻水が出そうになった。大学に着いて、エレベータのボタンを押す時、感覚がないくらいに指先が冷たくなっていた。
自転車を止めて鍵をかける時、傘を持ち歩いている人が見えた。
空は曇っていて、「雨、降りそうだなぁ。」と思った。
傘を取りに戻るのも考えたけれど、面倒なのでやめた。
研究室には、水田さんと清田さんがいた。
清田さんは、提出用の第5章をすでに書き上げていた。
パソコンに、NASの2枚目を落とした後、卒研を始めた。
途中、二人が食べていた豆乳鍋を少しもらう。
第5章は12時少し過ぎに終わった。
結局、結びをどうしたらいいのかわからなかったので、先生にヒントをもらうことにした。
郵便局に出しに行った。途中、スーパーでA4用紙が入る大きさの茶封筒を買った清田さんに、茶封筒を一枚もらった。
二人の論文を同封して出す。郵便局の中にある普通郵便用のポストから入り口の間を歩く、終わった実感がおなかの真ん中あたりからだんだん湧いてきて、それに呼応するみたいににうれしさがこみ上げてきた。
郵便局を出たとき、思わず「終わったー!」とか叫ぶくらい解放感があって、しばらく、にやにやしながらそれ浸った。
「脱獄に成功したような気分だ。」みたいな事を清田さんが言って、俺もそうだなぁ、と思った。
まだ終わってないけれど、何か、変な重荷から解放された気分だった。
囚われの身→半囚われの身。
レンタル屋に行って、借りたいCDを3枚借りた。
しょっちゅう、自分に褒美を与えてるような気もするが、まぁ、いいやと。
大学に戻る前に、沖縄料理専門の弁当屋に行って、弁当を買った。初めて訪れる店だった。広くない店内、弁当が出来るのを客が待つスペースとキッチンに分かれていて、それを仕切るカウンター側の壁には、料理の名前の書かれた紙とバレリーナを写した写真が、ほとんど統一感なく張られていた。
弁当を写した写真は一枚もなかった。何を頼めばいいのか、さっぱりわからなかったので、同じものを頼んだ。
少し待つと、弁当ができた。予想以上においしそうだった。
まだ地面は濡れていなかったけれど、外はポツポツと雨が降り始めていた。
大学に戻って食べる、おいしかった。
そっからダラダラと研究室を片付けて、面白いと聞いていた本を大学図書館で借りた。戻って何かをやる、ドアのほうが気になって見てみると、沢山の荷物を抱えた中田さんが来た。
彼女は、お土産をたくさん持っていて、ごはんを食べてすぐだったけれど、かりんとうやら、金満だか金萬だかを食べた。
みんなが帰って、少し本を読んで、借りてきたCDを聴いて、傘を拝借して、バスセンターに迎えに行った。
In The バス待ちスペース、両親と姪甥コンビが乗っているバスを待った。
雨の日は、晴れの日よりも騒がしいと思う。
自動ドアが開く度に、空調で暖められていた空気が、外に吸い込まれるようにして僕の周りを離れていく。
ドアが閉まるまでの間、膜を一枚隔てたように聞こえていた音がクリアになる。
雨水が地面に撥ねる音、濡れたコンクリートの上を走る車の音、エンジンの音、バスのブレーキの音。
何もこんな日に雨が降らなくてもいいのにな、と思った。
7時半ごろ、バスが着いた。
インスタントカメラを持っていたので、甥と姪を撮った。
買い物をして、みんなで鍋をして、寝た。
甥姪コンビは、一日目から子供パワー全開だった。
甥っ子が、かなり喋れるようになっていて、面白かった。
内容(「CDジャーナル」データベースより)
フィードバック武装による血管硬直現象。その衝撃がいかんなく発揮された2nd,3rdシングルの??。この悶絶の極みに続いて4th?ではメロディー・メイカーとしての才能も披露。この複合ワザが85年リリースの1st。最も大衆のイメージに近い作品。
昨日見た映画に”Just Like Honey”が使われていて、自分の棚にこのCDがあることを思い出した。それほど好きじゃなかったので、ずっと聴いてなかった。
けれど、聴きたくなって、聴いた。
今日だけで、10回以上聞いたと思う。
外の音が聞こえないくらい、音量を上げて自転車を漕いだり、研究室の中でみんなの会話が聞こえないくらい音量を上げて、卒研をしたり。
自分の中で好きな曲が1曲増えて、しかも、それが今まで良さがわからなかった曲だとしたら、それは、かなり幸せな出来事だと思う。
「ポップミュージックの本質は、君がウォークマンの音量を上げたときにある。」ってようなことを、昔、片岡さんか誰かが言ってて、僕もそうだと思いました。
気を抜くと、多幸症気味になる。
7時に起きた、大学にいって、卒研をして、外に出たくなったので水田さんと清田さんと一緒に、コンビニに行くことにした。
外は、天気がよくて、歩いていてとても気持ちが良かった。
それだけで幸せな気分だった。
僕らが出たのは、10時45分すぎだったと思う。
途中、コンビ二ではなく、どこかに食べに行きたいねという話になり、サンクスを通り過ぎて、インドカレーのお店に行くことにした。
正月だし、11時という微妙な時間だったので、店が開いてるかどうかわからなかったけれど、歩きたかったし、3人とも「もしも開いてなければ残念だけれど、それでもいいや」という感じだったと思う。
10時57分に、店の前までたどり着いた。
店のドアの横の小さな看板には
"Every Day Open"
”Lunch-Time Open 11:00-15:00”
というようなことが書いてあって、もしかしたら開くんじゃね?という話をしていると、インド人の店員の人が出てきて、おもむろにドアの看板を裏返した。
「お、ついてるね。」とか言いながら、3人で店の中に入った。
やっぱインドの人は、お正月に関係なく、新年をすごすんだろうか。
久しぶりに行った、そのお店の内装は、以前に来たときと変っていた。前は、入って左側の半分を埋めるすし屋のカウンターのようなスペースにキッチンがあって、そのおかげで店が狭くなっている感じがしたけれど、今回はそのすし屋のカウンターのようなところが取っ払われていて、空けられたスペースには、イスやテーブルが並べられていた。
清田さんは野菜カレー、水田さんはチキンカレー、僕はキーマカレーをそれぞれ注文した。
すこし食べさせてもらったけれど、どのカレーもやっぱり、とてもおいしかった。あと、ナンがおいしかった。
カレー屋を出て、3人とも幸せな気分になる。
外は陽射しが暖かくて、ぽかぽかしていた。
もしいやなことがあったら、晴れた日に、外を歩いて、何かおいしいものを食べに行くといいと思う。
大抵のことは、どうでもよくなるんじゃないだろうか。
研究室に戻るのは少し苦痛だった。エレベータを使わず、階段を上ったり、意味もなく2階のフロアを歩いたりして、なるべく遠回りをしながら、戻った。
そこからは、9時ごろまで研究。第5章が終わらず苦戦。
9時少し過ぎに、さえない自分に卑屈な気分になる。
最悪だった。
日記に書くのも恥ずかしいくらいにどうでもいい事と、そのことに対して無関係になろうとして無力感に沈もうとしている自分を自己嫌悪、思いっきり凹む。
しかも、その事をメチャメチャ誰かに話したくなり、その場にいた清田さんに、言いたいことも整理しないでウジウジと話してしまった。
なんだか、さらに卑屈な気分になった。
「何をしたいんだ、俺は。」と、「あぁ、俺、マジで味噌っかす青年だ。」と。
しかし、帰宅直前に先輩からメールをもらい、すこし回復する。
家に帰って、友達からメールをもらい、すこし回復する。
寝て、起きて、風呂に入って、朝ごはんを食べると、前日悩んでいたことがとてもアホらしくなった。
でも、今度落語を見ようと思う。
内容(「CDジャーナル」データベースより)
これは笑える。よりにもよって{少林寺武間派}を名乗るラッパー集団なのだ。ラグド(ぼろぼろ)・ビーツと呼ばれるザラついたバック・トラックを背後に,ロール・プレイング・ゲーム乗り丸出しのカンフー・ラップ(?)が炸裂。昨年度の現地話題作。
髪を切りに行くといつも、B系の美容師とウータンの話になります。
Ol’ Dirty Bastard、死んじゃったね。
思い入れはありませんが、ご冥福をお祈りします。
ウータン、メンバー全員が集まるショーなら見てみたいなぁ。
朝5時半まで研究室で卒研をゆるく進めて、その後は3人でファミレスに行った。
僕は和食を、清田さんは洋食を、中田さんはオムライスをそれぞれ注文。
席に座って、少し落ち着いた頃にはもうかなり明るくなっていた。
ファミレスの朝食は、全然悪くなかった。
その後、中田さんからロマンチックな話を聞きだそうとしたはずなのに、いつのまにか恥ずかしい話大会になる。僕と清田さんが恥ずかしい話をする→中田さんがロマンちっく体験を話す感じで2サイクル、くるくると。
かなり悩んで、軽く恥ずかしい話と相当恥ずかしい話を2つした。
「これ、相当恥ずかしくない?」「いや、そんなんでもないんじゃん。」みたいなやりとりは、下手すると傷の舐め合いになりかねないけれど、そんな感じはなかったと思う。
他の人の恥ずかしい話を、それぞれに笑いながら聞いた。
自分が恥ずかしいと思った体験を各々に語っていたわけだけど、自分のが一番恥ずかしいような気がした。その事を清田さんにいうと、「いや、そんなんでもないよ」ということを言われた。
本人の恥ずかしい気持ちは、他の人から見れば笑い話にしかならないことだったりするらしい。
たまに、トイレや浴室とかで、全然関係のない時の恥ずかしいことを思い出して、「うぎゃー」ってなることがある。そういうのは、もしかすると本人にとって印象が深いだけで、ほとんどの事は言われて思い出すぐらいにしか他の人に覚えられていないのかもしれない。
中田さんの話は面白かったが、俺には少々アダルトすぎて、参考にはならなかった。
ファミレスを出たのは8時過ぎ、外の空気は冷たく澄んでいて、濡れた凍った地面がところどころで、朝陽をキラキラ反射させていた。光がやわらかかった。
滑って転ばないように、小刻みに歩く。
恥ずかしさを共有したせいか、帰り道を歩く3人には、なんだかおかしな連帯感があるような気がした。
途中、雪だるまを見つけた。2枚、写真を撮った。
さわやかな写真が撮れてるといいなぁ、と思う。
今日は30日、明日は31日。朝、8時過ぎに帰ってきた。
昨日から今日にかけての18時間は、今年一年を表すような、ゆるくていい一日だったと思う。
Louden Up Now
2004年12月29日 音楽Amazon.co.jp
このところあわただしい動きを見せていた“!!!”(チック・チック・チック)だが、初のフル・アルバムとなる本作『Louden Up Now』が聴く者を失望させない出来でよかった。「Danger! High Voltage」で頭角を現したエレクトリック・シックスと同じように、あるいはシザー・シスターズと同じように、彼らのスタイルはダンス・ミュージック、ギター・ロック、ディスコの境界線上に位置している。ここに収められた楽曲は、例外なく強固なリズム・セクションを持っている。ドラムス、ベース、不規則に変化するギターで構成されるほか、もろもろの先鋭的要素がブツ切れになるのもお構いなしに盛り込まれる。ヴォーカルはラウドでトゲトゲしく、歌詞はどぎつい皮肉が利いている。言論の自由(というより、一種の神経症か?)に対して暴言を吐きまくる「Pardon My Freedom」では、「キリスト教徒どもに教えてやれ、俺はジーザスより背が高いってな」と軽口が飛ぶ。かと思えば「Me and Giuliani Down by the School Yard」では、ジュリアーニ前ニューヨーク市長が映画『フットルース』に登場するダンス嫌いの牧師になぞらえて描かれる。この曲の締めくくりは同映画のテーマ・ソングからの引用だ。
『Louden Up Now』は取っつきやすいアルバムだが、同時に刺激的な異色作であり、驚くべき要素が詰まっている。バンドは“便所臭い(karazzee)”ユーモアのセンスと不遜さを存分に発揮しているが、奇抜であざといだけの音楽という愚には陥っていない。(David Trueman, Amazon.co.uk)
やっぱ、いい。
”ME AND GIULIANI DOWN BY THE SCHOOL YARD(A TRUE STORY)”
4分19秒あたりでやってくるカタルシスがやばいです。
思わず、食パン食いながら踊ってしまうくらいに。
食パンを座って食べたい人は、食事中に!!!を聞くのは控えましょう。
今日は17時におきた。外は雨。現在、18時越えて21分後。
テレビはさっきまで、14インチの世界の中心で愛を叫んでた。
あと31日まで2晩。なんとか、第5章を終わらせたいもんだ。
追記
雨じゃなくて、雪が降ったらしい。
こっちに来て、雪が降ったのはこれで2回目か3回目ぐらいのような気がする。
外に出ると、道路わきの植木や芝生、車の上や枯れた木の枝に、少しだけだけれど雪が積もっていた。
外に置きっぱなしの自転車にも、当然、雪が積もっていて、今日は歩いて行こうと思った。
自転車がないとスーパーまで行くのは面倒なので、コンビニによって買い物をしてから大学に行くことにした。
おにぎりを買って、店から出る
駐車場には、エンジンが動いたままの車が停められていた。
マフラーから出る排気ガスは、いつもより白く見えた。
地面は解けかけの雪でぐちょぐちょしていたし、お世辞にも綺麗とは言えないような景色だったけれど、雪の匂いと風景が混じって、かるく懐かしい気分になった。
No More Heroes
2004年12月27日 音楽内容(「CDジャーナル」データベースより)
タイトル曲の「ノー・モア・ヒーローズ」と?,2曲のヒット・シングルを放った本作は,1stアルバムから,6ヶ月後に発売された2ndアルバム。当時のパンク・ブームの中でも硬派な立場を保っていた秘密が分かる貴重な作品。ボーナス・トラック収録。
昨日(26日)のバイトはほとんど寝ていた、6時に解放されて帰宅、すぐに寝て27日の2時に起きる。それから大学に行って卒研、3時から9時半まで。
なぜか眠気にやられしぶしぶ帰宅、ノートパソコンをお持ち帰り。
睡眠。16時に目が覚める。
家にあるパンクとニューウェーブのCDをノートパソコンに全部入れたあとに、支度をして、19時少し過ぎに家を出た。今日は、今年最後の練習の日だった。自主練だったので、あまり期待はしていなかったが、やはり体育館にはバレー部しかいなかった。
バレー部は2面を使って練習していた。なんとなく残念だったけれど、すぐに「まぁ、いいや」と思って、体育館をあとにした。
そのまま研究室へ。20時ごろ、清田さんが来た。8時半から音楽作業をして9時半、スーパーに夕食を買いに行った。音楽作業のお礼に、清田さんに夕食をおごってもらえることになった。餃子鍋とおにぎり2つと、苺大福を買ってもらうことにした。
レジにそれらを持っていこうとしたところで、大きなバウムクーヘンに出会った。瞬発力抜群のキツネ色、かなり衝撃的だった、ここ2・3日で一番の衝撃。食べたかったが、300yenという値段に躊躇、貧乏学生には贅沢すぎた。それに加え、自分なら一日で食いかねんと危惧。我慢しようと思ったが、清田さんの「買えばいいやん」的発言でぐらつく、大きくぐらつく。そして「半分ずつ払って、半分ずつ食おうぜ」という画期的な案が出たところで折れた、俺はバウムクーヘンをカゴに入れた。
研究室に戻りメシ、餃子鍋はラーメン入りだった。
麺が見えていなかったので、得した気分なる。
オニギリ、鍋、苺大福。
苺大福を食べながら、横目にバウムクーヘンを捉える。「大人で良かった」と思った。
大人な俺は、やろうと思えばケーキが毎日食える。好きなもんが毎日食える、読みたい本を何冊も借りたり買えたりするし、時間は限られているかもしれないが音楽や映画も好きなだけ楽しめる。自分の稼いだお金で生活しているわけでので、根本的な部分で自立はしていないし、本当の意味で大人ではないけれど。
大人一人前に消費をこなしているせいか、やはり錯覚してしまう。自分は大人なのだと。
少なくとも経済的に自立してない間は、大人じゃないと思う。
本当は、成人しているだけだと思う。ただ、自分の好きなもんを買って食べたり楽しんだりする部分は、経済的に自立しているし、大人と言ってもいいんじゃないかと思う。
よく考えると、半大人だ。
でも、半大人でも、けっこう自由だ。やろうと思えば、ガチャガチャを回しまくることができる。金魚すくいは、何十回とできるし。お面や、すぐに飽きてしまうような綿飴を買うことも出来る、ビックリマンチョコやらJリーグチップスやらを大量に買って、シールやカードを好きなだけ集められる。
そういうアホなことは、やる気がしないのでやらないけど。
あっ、半大人は好きな場所にも行ける。プールにも保護者なしで入れる。
子供の頃もっていた想像の世界は、大部分が削られてしまったかもしれないし、可能性はずいぶん磨り減ってしまったけれど、やりたいことはきっと出来ると思う。
挫折もしたし、全能感や根拠のない自信もあまりない。
きっとこれからも色々凹むことはあるだろうけど、それでも、なんとかいけそうな気分だ。
やっぱ、楽観的な性格でよかったと思う。
5時半に帰宅、外はとても寒くて、まだ暗かった。北北東の空に満月、上空には北斗七星。
現在6時半。バウムクーヘンを30センチ定規で測ってみた、直径15センチ、厚み5.5センチ。これから寝て、おきたら食べようと思う。
すごく楽しみだ。あ、やべ、もう明るい。
追記
一日置いて読み直すと、なんだかアホみたいで、早速凹む。
内容(「CDジャーナル」データベースより)
米国西海岸のアンダーグラウンド・シーンはもとより,日本のコアなヒップホップ・ファンにも人気のジュラシック5が,満を持してフル・アルバムをリリース。ヒップホップの新たな歴史が始まる
元気がないなら聞きましょう。なにやら楽しくなれます。
現在、26日4時、今日はクリスマスだった。断続的な眠りを経て、12時に目が覚める。それほど飲んでいないはずなのに、カラダがだるかった。
勉強。イラつくことがあってATDIを聞く。
夕方にレトルトカレーを食べ、大学へ。
卒研、うとうとしながら進める。
今日は、第5章を書き始めることが出来た。
20時半ごろ、清田(仮名)さんが来た。一時間後、スーパーへ買い物へ。
なんやらカップルがチラホラ、妬みか怒りかはわからないが、幸せそうな風景を壊したくなる。
メリークリスマス。半額幕の内弁当を買い、研究室に戻った。
食べようと思ったところで、ホソダ君(仮名)から電話がかかってきた。
かるくクリスマス祝おうぜ、との誘い。
食いかけの弁当をカゴに入れ、チャリを立ちこぎ、コマダ君(仮名)の家に向かった。
ピンポンを押すと、コマダ君がメリクリとか言ってお出迎え、俺は浮かれ気味にメリクリと挨拶返し、部屋の奥にはホソダ君がいた。
そっから、ホソダ君が買ってきたローソンケーキを食うことにした。ケーキにさされたローソクにとりあえず火をつけ、さほど必要のないムードが出たところで、さらにテンションを上げるために、クリスマスソングをリクエストした。
コマダ君が、レコードの調整をして、準備完了。
再生。
室内に広がり始める静寂よりも静かなピアノの音。あぁ、この曲かぁー、たしかにいいよね。ってなところで「ん、おかしいぞ」と我に帰る。
かかっていたのは”Love”だった。
暗闇でローソクの温かい色の灯りが広がる中、「Love is Real、Real is Love....」って歌をバックに、小さめのケーキを囲むように座る男3人。
あぁ、まずいまずい。
「よし、やりなおそうぜ」ってな具合で仕切りなおし。
今度こそ、ジョンレノンとオノヨーコが”Happy Christomas”を歌う中、なんやら3人で「せーの」とか言ってローソクの火を吹きけした。
約800円のローソンケーキは、思っていたよりもおいしかった
軽く飲んで、UNOをして、1度負けて2度勝った。
負けたあとは、罰ゲームで電話をし、買った後は、電話をするホソダ君とコマダ君を見て、楽しんだ。
楽しかった。
ホソダ君を、親鳥の心境で部屋から送り出し、大学に戻った。
大学に戻ると中田さんが来ていた。酔っ払いだった。
サンタの格好をしている中田さんにはツッコミを入れず、普通にメリークリスマスとか言って、何事もなかったように卒研を始めようとした。
「いやいや、ツッコミなさい。」と、清田さんにダメ出しをくらう。
ですよねぇ。。。って感じで、タイムラグのあるリアクション含んだツッコミを大げさにした後、プリンを食べたり、中田さんが持ってきたオニギリを食べたり、卒研をしたり、キャラメルコーンを食べたりして、4時に帰ってきた。
現時刻4時44分。今日はバイトだ、メンドイぜ!
寝坊をしそうなので、床で寝ようと思う。