世界に類を見ない傑作が完成!#インディ盤、メジャーでのファースト、ライヴ盤と常に期待に応えた作品をリリースしてきたナンバーガール。最新レコーディング作が満を持して登場。
朝。5時、外を走ってきた。
この時間に走るのは初めて。
大きく、朝を感じた。
深く息を吸って、ひんやりとした空気を肺に入れると気持ちよくなった。
今日は『殺風景』を聴きながら走った。
たまに音が視界と混ざり合うような時がある。
大抵、すごく短い。
今までで一番長かったのは、初めてトムヨークの声を聴いた時だと思う。
次はたぶん、Mogwaiのライブ。
普通にCDを聴いてるときにもなるし、音楽以外で体験することもある。
どういうときになるのかは、よくわからない。
自分の中にあった何かが、自意識を離れて、音と風景が体現する世界に同化されていく。
自分と世界との関係の曖昧さが消えて、感覚を通したつながりが目に見えるように広がっていく。
以前にも何度か同じようなことを書いたと思う。
いつもうまく表現できない。
2文字で表現するなら、「覚醒」とかに近いような気がする。
そういう時の開放感はホントにすごい。
ああいう瞬間が作れる人たちのことを、無条件に尊敬してしまう。
カナダの評論家たちは自国の音楽を称賛してばかりいるが、それは間違ったことではない――それを証明したのが、デス・キャブ・フォー・キューティーの1999年のデビュー・アルバム『Something About Airplanes』だ。4人のメンバーたちは、モデスト・マウスや764-ヒーローズのエモ・サウンドと、あざといまでに斬新かつ感傷的なアプローチを結合させた。この手法は驚くべき成果を上げたが、少々サウンドがローファイに過ぎる感もあった。幸運なことに彼らは、本作『We Have the Facts and We’re Voting Yes』で、あの魅力的なデビュー・アルバムを損ねていたプロダクション上の問題を突き止めたようである。
オープニングの「Title Track」は、出だしが薄っぺらで安っぽい感じだが、この時すでにバンドはリスナーを引き込もうと手を伸ばし始めている。2分後、このチューンは一気に膨張し、華麗で緻密なマスターピースに変身する。このアルバムは決して振り返らない。ベン・ギバードのソングライティングはひたすら前に向かう。だから「Company Calls」は、よりスローな「Company Calls Epilogue」へと途切れることなく続く。また、「For What Reason」や「405」は、ただでさえ忘れがたいストーリーなのに、歌詞の簡潔さのために、ますます繰り返して聴きたくなる。カナダが素晴らしい音楽を次々と生み出しているのは、まぎれもない事実だ。(Jason Verlinde, Amazon.com)
レビュー、長いですね。
俺の中では、ベスト3に入る名盤です。
いや、本当に。
ライブを見たとき、歌い手の人が甘い雰囲気を出そうとしすぎてる感じがして、すこし凹みました。それでも、大好きなバンドです。
たまに、とくにいい事も悪い事もないような時があります。
大抵、そういう時はすごくニュートラルな状態なんだけど、なんとなく気分が沈んでいたりします。
このアルバムはそんな状態を肯定しながら、上に向かって少しだけ、引き上げてくれるような気がします。
そこに傲慢さはなくて、僕は優しさみたいなものを感じました。
上に上がりたい気持ちの分だけ、前向きにしてくれるような気がします。
その働きかけはとても弱いものなんだけれど、そこがいいんじゃないかなぁ、と。
目が覚めた時、なんとなく夕方のような空気に焦った。
よく寝てしまった。
時計を見ると3時。バイト遅刻じゃねーか、おい。とかなんとか。
ブツブツいいながら、ちゃっかりシャワーを浴び、体を拭き、シフトを見直していると、重要なことに気づいた。
あ、今日は昼のバイト入ってないや。
そんなわけで、ゆっくりと支度。
金子みすゞのドラマやらを見ながら。
没後74周年?らしい。なんか中途半端だね...
夜はバイトだった。だいたい、3回くらい揺れた。
買い物→帰宅。
10時すこし前に家に着き、一息つく俺。
ベッドに腰掛けながら、テレビで地震速報を見ている時、左手の中指の先に付着している茶色いものに気づいた。
なんだろう、と思った。よく見ても、茶色い物体。
泥のようだった。
さらによく見てみようと思い、顔を近づけた時、うんこな香りがしてなんだか複雑な気持ちになった。
勘違いの可能性もあると思った。
今度は、見るのではなく嗅いでみることにした。
もしかしたら違う匂いがするかもしれない。
鼻を近づけよく匂いを嗅いでみたが、どう考えてもSmells like うんこ。
これ、くそかなぁ。いやいや、おかしいぞ。
うんこなんか触った覚えないんだけどなぁ。
そんなこんなでどっちつかずの茶色い物を洗い流すことにした。
きっと、うんこじゃないと思う。そうじゃないと困る。
追記
夕方、金子みすゞの詞に感動させられた。
『つもった雪』
上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。
下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。
中の雪
さみしかろな。
空も地面(じべた)もみえないで。
作者の持つ、深い優しさみたいなものを感じました。
アルバム『セコンドファンファーレ』に続くマキシ。タイトル曲はライヴでお馴染みとなったスパルタ流ダンス/ロック・チューン。DVDでは強烈な彼らの個性が楽しめるライヴ映像を収録。
野卑たスタイル、そのギザギザ感が好き。
N.Yパンク〜ポストパンクな香り、詞の乗せ方が新しいと思う
今日は、あまり寝ていない。たぶん、3時間くらい。
さっき、アンパンを食べた後にベッドで天井を眺めていたら、眠くなった。
目をつぶると、後頭部からゆっくりと脳全体を覆うように広がる快感。そのまま意識を失いたくなった。
第2章を出してきた。今回もぎりぎりだ。
しかも、最後まで終わらなかった。
第4節の終わりは、あとで書き足すことにした。
ゼミの後は、みんなで夕飯を食べて、カラオケに行って解散した。
カラオケで、ありえないほどに上手な”銭形平次”を聞いた。
最後にみんなで頼み込んで、もう一度、歌ってもらった。
演歌は熱い。
追記
コレを書いたのは22日の2時。
Amazon.co.jp
1994年のデビュー作『Dummy』でポーティスヘッドは、ターンテーブルをベースにしたソウルの名曲を作り上げたが、サウンドをあまりに徹底的に特徴づけたために模倣者を数多く生んでしまった。では続く2作目はどうすればいい? 答えはいたって単純だ――元々のスタイルにさらに磨きをかければいい。
このセルフタイトルの2作目では、陰鬱な緊迫感、ロマンチックな宿命論への傾倒といったデビュー作を特別なアルバムにしていた要素が、すべてグレードアップされた。ポーティスヘッドの音楽の多くは、映画的なセンスで構成されている。現に本作の多くのトラックは、1960年代中期の実存主義的なスパイ映画のBGMのように聞こえる。だが結局のところ彼らの最大の強みは、シンガーのベス・ギボンズにある。ギボンズのヴォーカルは怒り(「Cowboys」)からわびしさ(「Mourning Air」)まで、あふれる喜び(「All Mine」)から倦怠感(「Only You」)までを自在に歌い分け、そのすべてがバンドの意欲的で開放的なアレンジにぴったりはまっている。本作は荘厳でありながら酔いどれた、何度となく震撼させられる傑作だ。(Andrew McGuire, Amazon.co.uk)
たまに大げさだけど、雰囲気がたまんないです。
”All Mine”とか、脳みそに映像が喚起されます。
そして、実はあんまり聴いたことないです。
昨日の日記当番は俺だった。朝の3時ごろ、暇なので送信。
昼までに3人のおなごから面白いという感想のメールをもらった。
しかも、ゼミの子が見せたらしく、俺のところに”日記、面白かったよ”というメールが好きな子からきた。
棚からぼた餅的幸運。
「フォー!」とかなんとか。。。
マイケルジャクソンばり奇声発声後、しばし浮かれる俺。
神様とMr.ポポに感謝した後、お澄まし調子でメールを返信。
はい。わたくし、クールぶりました。
いや、実際は素直に喜びのメールを送ったたけどさ。
かなり押さえ気味で...
夜は23号が来客。
雨戸を3センチ開けて、カーテンの隙間から外を覗いた
駐車場に雨水の革張り、風が起こす表面のゆらゆら、街灯に反射してテラテラ。
光沢のある布みたいだった。
屋内で外の雨模様を見るのがけっこう好きだ。
かるく、ワクワクする。
たぶん、どんなに降っても濡れないからだと思う。
追記
今日ポストチェックをする時に傘を開くと、中に溜まっていた雨水がこぼれた。。
22号の水と23号の水。
これは20日の夜。
Super Black Market Clash
2004年10月19日 音楽1980年にアメリカで10インチ・ミニ・アルバムとしてリリースされたシングルのB面曲集『BLACK MARKET CLASH』に、さらに収録曲を加えたレア・トラック集(93年リリース)。12インチ・シングルに収録されていたロング・ヴァージョンやリミックス・ヴァージョンなど、ここでしか聞けない貴重な音源が多数収められ、熱血ロックンロール・バンドでありつつ、同時に実験精神あふれるミュージシャン集団でもあった彼らの魅力に触れることができる。たとえば果敢に挑んだダブ・サウンドなどは、プライマル・スクリームのルーツとして、若いリスナーには聞いてほしい。とは言え、本作の選曲はあくまでもマニア向け。本作の前に、まずオリジナル・アルバムを聞くべきだろう。(山口智男)
今日は家から一歩も出てない...
と書こうとして、コンビニに行ったことを思い出した。
朝6時。腹が減ったので、パンを買いに外へ出た。
それ以外は、外に出ていない。
家で音楽を聴いたり、ボーリングをしたり、流れ星に願い事をしたり、押入れできのこ狩りをしたり、膝を抱えながら昼のメロドラマと『徹子の部屋』の間を行ったり来たり、武田鉄也のモノマネをした後のタモリのハニカミ具合に胸を打たれながら、野菜ふりかけごはんを食べたりした。
そういえば最近、ダンボールをテーブル代わりに使っている。
この前、家で友達と飲んだ時から置きっぱなしのダンボール次郎。
掃除機をかけたときも、少しずらしただけで、勘弁してやった。
それは優しさでもなんでもなく、面倒だからなのだけれど。
昼、ごはんを食べた時、彼の上っ面の凹み具合が目についた。
そう、彼はもうふりかけごはんの重みにも耐えられないのだ。
僕には彼の姿がとても所在なさげに見えた。
もう限界をなんだろうか。
そろそろ俺たちの関係もお仕舞いかな...
なんて、タバコの煙を吐きながら、ダンボールを見ずにつぶやく。
当然のように、彼は一言も発しなかった。
夜の0時3分、ダンボールをたたんだ僕は、ごみの集積所まで彼を見送るついでにコンビニに寄って、夜食を買ってきた。
外は寒かった。
僕はベッドの下に仕舞っておいたテーブルをだして、その上であんまんを食べながら、牛乳を飲んだ。
追記
すいません、全部デタラメです。
タバコ吸ってないし。あ、未成年のタバコは禁じられているらしいですよ、みなさん。
今日も卒研。締め切りまであと1日、がんばろう。
大正から昭和の歌謡曲とパンク・ロックを混ぜたような、まったく新しい構造をもつメロディと、セクシャルな情念やエロティシズム全開の破滅願望を詩的につづった歌詞。ヒステリックに爆発しまくるギターサウンドと、聴く者を威圧する巻き舌唱法。アヴァンギャルドにして大衆的な音楽性によって、一気に女性アーティストのトップにまで登りつめた、林檎嬢のデビュー作である。
そのあまりにも斬新なインパクトはその後、数多くのフォロワーを生み出すことになった。エロティックなルックス、コスプレっぽいビジュアルセンスも挑発的だ。(森 朋之)
今更感を越えて、すでに乗り遅れたとかの問題じゃなくなってますが、これいいですねー。
一気に売れたのはなんとなく覚えていたけれど、1999年の作品かぁー。
いつも流行りものをどうしても避けてしまいます。
そんなこんなで、5年の月日が流れ、わたくしはピチピチの高校3年生から→いっぱいいっぱいの大学4年生へ。
(いや、ピチピチしてなかったような気もするけど。)
そしてその間、きっかけなく通りすぎてしまったのはもったいなかったなぁ、と思う今日この頃。
都会的というか、東京的オルタナティブロック?
なんじゃそりゃ。
とにかく、シチーボーイ(City Boy)な彼やシチーガール(City Girl)な彼女にピッタリ。
畳の部屋で、窓開けてぼんやり。
軽い懐かしさとともに、ヒリヒリとする傷口に響いてマキロン,
そして胸キュン。
たまに、アタマん中に何かがずわぁーっと広がる気がします。
ロマン物質含んだ黄昏、やられた頭に乾いた空気と電球色な音圧を。
夕焼け模様、カサカサくちびるにメンソレータムの図。
いいと思った物は、周りに左右されずいいって認めれるようになりたいです。
もしかしたら、こんな風にアジカンを聴きなおしたりするんだろうか。
それちょっと、いやだなぁ。
追記
「丸の内サディスティック」が好きです。
あー、ようかん食べたい。
ゼミで交換日記なるものが始まった。
MLを介して、送信される。先生にも送られる。
いいのだろうか、なんだか無駄にドキドキだ。でも、楽しみだ。
明日は別の人で、明後日は不明、8人ぐるぐるローテーション。
他の人の文章を読んで、ひりひりするのがけっこう好きだ。
知り合いが書く文章には、とても興味を引かれる。
どんな文章なんだろうか。
ザ・プライヴェート・プレス
2004年10月17日 音楽内容(「CDジャーナル」データベースより)
DJをはじめ、ロック系人脈にも高い人気を誇るDJシャドウのお待ちかね5年ぶりの2ndアルバム。『エンドロデューシング』やその後の仕事ぶりにやられてしまった人にはたまらない1枚となるはず。
夜、外を走る時に聴くのが好きです。
よくわからないけど、たまらなくかっこいいです。
どういう音が内省的なのか。はっきりとは知りませんが、この人の作品がヒップホップに内省的な視点を取り込んだものだっていう批評はなんとなく間違ってないと思います。
DjShadow以前にも、おそらくそういうアーティストはいたんじゃないかと思います。
でも、内省的で新しく、なおかつキャッチーな部分と革新的な部分とのバランスの良さもつ作品を実現したところに、彼が評価される理由があるんじゃないかなぁと思いました。
↑(注)知ったかぶりです。
大したことは言えないです、やっぱ。
今日も卒研。締め切りまであと3日、がんばろう。
夜、イヤになって『トリック』を見かけていたらメールが着た。
同じゼミの子からで、他の研究室をもしかしたら使えますよー、という内容。
僕の所属しているゼミには研究室というものがない。
やっぱり、家でやると誘惑が多くて、休憩時間がいつも長引く。
なので、彼女からのメールは朗報だったのだけれど、ノートパソコンを持ってないため、あきらめせざる終えなかった。
そこで回想。
以前、電話で母親が「ノートパソコンを生徒から中古で買い取ったので、もし使うんだったらどうぞ」と言っていたのを思い出した。
ちょうど家から電話がかかってきたので、よろしく頼んだ。
メールをもらった後、「みんな頑張ってるんだなぁ」と思うとやる気が出てきた。
すこし考えたのち、テレビを消して大学に向かった。
資料を取ってきた。
外は寒かった、空気は冷たくて、”Smells Like 初冬”ってな具合に僕の鼻孔を”Shimoda”(志茂田)に”Kageki”(景樹)。
略して”Shigeki”(刺激)de んふんふっふ。
そこが良かった。
夏よりも秋が好きで、秋よりも冬が好きだ。
春には、たまに冬を越えるようなとてもいい日がある。
でも、冬は安定してすごくいい日が続く。
やっぱり、乾いた空気がいい。
現在、月曜3時のちょい過ぎ、さっき外を走ってきた。
ブクブクになるくらい厚着してちょうどイイくらいだった。
いや寒いね、ほんと。
もうすこし起きて考えて、めざましニュースを見たら寝ようと思う。
追記
ずっと調子の悪かったitunesのライブラリの共有が出来るようになった。なかなか、楽しい。
ご近所には侮れない曲者が住んでいる、と想像。
おもわず、ニヤついてしまった。
ボストン出身の女性一人を含む3人組の本邦デビュー盤。奇妙な浮遊感を漂わせたスカスカの演奏は,誰が聴いてもヴェルヴェット・アンダーグラウンドの影響が明らか。もっとも,本家ほどの磁力は持ち合わせていないが,フォロワーとしてはまずまずの部類。
ほしいです、このアルバム。
何曲かはmp3で聴きました。
酔ってる時に聴くと、なんだか気持ちがいいことがわかった今現在。
pm.11:00
今日は学園祭の打ち上げだった。良かった良かった。
けっこう楽しくて、もうちょっと誰かと話したかったし、2次会も行きたかったけど、やめといた。
すごく気持ちがイイ。
アルコールっていいね。
今日はもう寝よう。明日から頑張ろう。
追記
そういえば、飲み会の後にはいつもVUが聴きたくなる。
それと近いのかもしれない。
オマールとオマーン、お茶漬け超人。
2004年10月13日 音楽内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
映画『アバウト・ア・ボーイ』のサントラを手掛け、日本でもブレイクしたバッドリー・ドローン・ボーイの初DVD。初期のPV2曲を含む全15曲の他に、未公開フッテージなどの特典映像も追加。「All Possibilities」「Born Again」「You Were Right」など。
内容(「Oricon GE」データベースより)
今までの4枚のオリジナルアルバムからのPVを収録した作品。初期のOAされていないPV、ライブ映像3曲も収録。
今日は10時半に起きた。
最近、目覚ましニュースを見てから眠る生活が続いてる。
起きてからは、卒研をやった。
2章の第1節がまとまらないので第2節や第3節を並行して書くことにした。
夕方、本を読んでいると、友達が食事に誘ってくれた。
19時半、家を出て大学の駐車場へ。
駐車場には、誰もいなかった...トイレに行こうと思った。
中途半端な場所に自転車を置きっぱなしにして、講義棟に向かおうとしたところで、偶然、サークル女子部長のテリーマンさんに出くわした。
そんなところに自転車とめるの?と聞かれたので、俺が「いや、トイレ行って来ようと思ってさ」とかなんとか答えて、通りすぎようと思ったところで、友達のラーメンマンが現れた。
テリーマンさんがラーメンマンに今日はだれ誘ったの?と訊いたところでやっと、彼女が祝ってくれるためにそこに来てくれたんだとわかった。
てっきり男だらけで誕生日を祝われるものだと思いこんでいた俺は、普通に勘違いをしていた。
時間を少し過ぎたあたりで、バッファローマンとウォーズマンが到着。
さぁ行こうかって感じで少し歩いたところで、ロビンマスク先輩が来た。
後輩のウォーズマンやロビンマスク先輩は、大学敷地内でしか話したことがないくらいの間柄だったのだけれど、そんなことは置いといて、なんとなくでも誕生日を祝ってくれる人が、たくさん居ることがうれしかった。
そのあとは、もらったDVDに素で喜んで、居酒屋で少し飲んで食べた。
10時になる頃、ブロッケン.Jrさんと悪魔将軍さんが合流、ちょうど区切りもいい感じだったので、場所を移動することにした。
途中、ブロッケン.Jrさんや悪魔将軍さんがくれたヨーヨーでかるく遊びつつ、学駐へ。
明日一限から授業があったウォーズマンとロビンマスク先輩とはそこでお別れした。
俺の家で飲むことになったので、みんなが買い出しに言ってる間に、部屋を片付けた。
ごみを出しに行こうとして、ジェロニモに遭遇。
ジェロニモは単独、祝いに来てくれたらしかった。
感謝感謝。
そんなわけで2次会、友達が買ってきてくれたティラミスに22本ローソクを差して、火をつけてくれたので、僕は息を吹いて、ローソクを消した。そこで、腹痛を我慢していたバッファローマンが、おなかの痛みを告白。おなかを押さえて帰っていった。
ありがとう、バッファローマン。
そのあとは、TVで日本対オマーン戦を流しながら、飲んで食べて笑って、写真見て、かるく語って。
前にゼミの飲み会で教えてもらった筋肉占いと、悪女占いと、動物占いをして、「あーだ、こーだ」言って、すごく楽しかった。
女性陣が2時ごろ帰って、残ったのは俺とジェロニモとラーメンマン。
プールの監視員で超人な僕らは、5時まで話して、6時少し前にお茶漬けを食べて、ダーツで少し遊んで、解散した。
とてもいい誕生日だった。
友達伝いにメールでおめでとうを言ってくれる人もいた。
誕生日を祝ってくれる人がいるのは、すごく幸せだ。
R-E-S-P-E-C-T
2004年10月13日 音楽いまや大御所となったアレサが,{クイーン・オブ・ソウル}としてヒットを連発していたアトランティック時代のベスト・アルバム。一躍人気者となった?を初め,キャロル・キングの傑作バラード?,バカラックの?など,エヴァーグリーンの名曲が並ぶ。
誕生日おめでとう、自分。
22歳。おめでたいね。
現時刻、0時を過ぎてすこし。
さっき、友達からメールでおめでとうを言われてすごく嬉しかった。
やっぱモノじゃなくて、気持ちだよ。
たぶん友達は、俺だけじゃなくて、自分と関わる人全員にああやってメールを送ってるんじゃないだろうか。
そのために、みんなの誕生日を調べていたんだろうなぁと思う。ほんとすごい。
俺は照れくさくて、なかなか他の人に気を配ったり、優しくしたりすることができないので、ほんとに尊敬した。
俺なんかに誕生日おめでとうメール送っても何のメリットもない。せいぜい感謝の言葉くらいだ。
たぶん、そんなメリットなんかは全然考えてないんだと思う。
久しぶりに周りの人を尊敬したような気がする。
俺新聞には、一面見開きで『2004年 大学4年生リスペクト部門ダントツ受賞はこの人。』の記事を載せることに決定。
受賞おめでとうございます。いや、名誉はないけどね。
すごく気分がいい。
日記で自分に向けて「おめでとう」と書いても、空しくならないくらいだからホントにいいんだと思う。
22歳の目標、何にしようかなぁ。
ガンズ&ローゼズがバックアップしている若手5人組のデビュー・アルバム。米英のさまざまなロックからの影響を強靱な胃袋で消化した剛柔自在のサウンドで迫る実力派。シャノン・フーンの表現力豊かなヴォーカルと粘り腰のバンド・アンサンブルが印象的。
”ガンズのバックアップ”って言葉があまり似合わない音です。"No Rain"しか知りません。
なんとなくラブ・サイケデリコの人の歌い方って、シャノンの歌い方と似てるような気がします。
今日はベッドと一緒に一日を過ごした。
それでも卒研をやって部屋を片付けたので、わりと気分がいい。
夜、大学の学園祭にDj Master-Keyが出ると聞いたので、友達と観にいってきた。Budda Brandはかなり好きなので、ワクワクしながら会場に向かった。
会場には8時少し前に着いた。8時からスタートすると聞いていたのに、ステージ上にはすでに何人かのMCとDJがいて、音楽も流されていた。そこそこ盛り上がっていたが、それでも、目の前で展開されるパフォーマンスの良さがわからず、あまりテンションも上がらなかったので、俺たちは”きっと、目の前で何かをやってる人たちは前座なんだ”と思った。
僕たちはデコボコ地面に腰を下ろして、前座の人たちのパフォーマンスを見ていた。DJの凄さは理解できず、俺には野外で大音量でかけたCDを聴いてるのとどう違うのかよくわからなかった。
ライブハウスで開演を待っている間に流れる音楽を聴いてる状況になんとなく似てた。
それでも、前座の人たちはかなり会場を盛り上げていた。
肩車をされながら両手を上下に揺らして踊っている人がいたり、曲の合間やところどころで歓声が上がったり、少し離れたところにいるガイジンさんがノリノリで踊っていたりしていた。
俺たちの前に座っていた仲間の所に、汗だくになってステージのほうから戻ってくる奴もいて、もうすぐ8時になりそうだったのでなんとなくいやな予感がしてきた。
8時を過ぎても、Dj Master-Keyらしき人は出てこなかった。
目の前で音楽を流している人がDj Master-Keyらしかった。
8時30分を少し過ぎた頃、帰ることにした。
汚い便所で用を足してると、「なんじゃらほい!」と言いたくなった。いや、タダだったけどさ。
たぶん学園祭用の選曲なんだろうけど、そういうのも含めてもう観なくてもいいやって感じだ。
帰ってきて、友達とドラマを観た。
キャストが豪華だった。
たぶん来週も観ると思う。
ちょっと恥ずかしいけど、ワムの曲は嫌いじゃないです
いまだにロック小僧たちのよきお手本であるツェッペリンのあまりにも有名なセカンド・アルバム。69年に発表されてから18年もたったなんて,とても信じられません。ハード・ロックのスタンダード。再結成の噂もあるが,こうした過去の美しさは格別だぜ。
今日は13時起き。
半分ずれてるなぁ、と実感していたら、お腹が鳴った。
ごきげんようを見ながらの朝ごはん。
大学生万歳三唱のチラリ。
午後はへコヘコして、夜はぐにゃぐにゃした。
帰ってきた真っ赤な第1章、返却後の確認BGMは”Whole Lotta Akaji”
訳して”胸いっぱいの赤字を”
されど嬉しい一文も発見、「思ったより、全体的に良く書けています。」とのお言葉。
その一文、俺ごはんに添えれば、おかずに困らないぐらいの賛辞。
10時30分の帰宅、水を飲み終えたら、バカのためのバカレースの始まり。
ホットドッグを水に浸して、ばかばかと口に詰め込むお食事レース、お腹をすかせた子供ほっといて、飢餓感なく顔の皮厚い奴らの無駄食い。
シド・バレットとジョンレノンと一緒に観戦して軽蔑。
追記
レースは面白かった。
3人とも、ゲロを吐きながら笑って観た。
プライベート・サーファー
2004年10月6日 音楽シングルを中心にセレクトされたDISC1とツウ好みの楽曲をエディットしたDISC2からなる、2枚組のベスト・アルバム。最新のクラブ・ミュージックをフィーチャーしたボーカル・トラックを志向したデビュー当時から、ブルース〜ジャズ〜エレクトロニカといったカラフルな音楽性をまとうことで自らの表現を進化させてきた彼女の軌跡が刻まれた本作は、まさに名曲ぞろい。自由奔放なヴォーカリゼーションと超高品質のサウンド・メイクを、たっぷりと堪能して。(森 朋之)
ジャケットの写りっぷりが男前。
今日は、11時に起きた。外は晴れ。
6時にセットした2つのアラームはどちらも素通りした模様。
本気を出しても朝起きれず。
ご飯を食べて、大学で友達にお金を返した後、ドラッグストアで買い物→帰宅。
家賃払ったのちチャリ乗車。サドルにケツ、地面蹴って出発、漕いでその先に図書館、レンガ面の地面に靴底がこんにちわ、いつもどおり着地して施錠。
図書館で資料をコピーして6時。
帰宅。胃をふくらませたあと、資料を整理しながらテレビを見た。
10時半から勉強。12時に地震。
机に隠れようかと思うほどに、大きくグラつく、大きくビビる。
先輩と親からのメールに返信。
携帯の機嫌悪く不調、長押し入力をしなければならないほどの不感症、苦戦して返信。
障害超えてコミュニケーション、電話破壊せずに完了。
2時まで勉強した。
明日は、先生に赤で直された第1章が戻される。
修正箇所は多いほうがいいけど、多いと凹みそうだ
イギリスをはじめ、アメリカでもブレイクしているロック・アーティストのMOGWAI。彼らの97年にリリースしたアルバムを、来日記念アルバムとして、日本企画リリース。
今日も雨だった。午後7時、恵比寿のリキッドルーム。
先輩と友達と3人で、mogwaiを見てきた。
mogwaiの演奏はすごかった。言葉では表現できない。
あんなライブを見たのは、はじめてだった
”雨でもかまわないから、今日と同じ日を過ごしたい。”と思えた。
追記
スチュアートたちは、俺が覚えている大人の中でも、一番に入るくらいカッコ良かった。
ハゲだったり太っちょだったりしたけど、見た目なんてどうでも良かった。
あんなふうに、人を感動させることが出来る彼らを尊敬した。
元気が出た。
デビュー・アルバム『Pablo Honey』の――より正確には、シングル「Creep」の――大成功により、一躍名を知られるようになったレディオヘッドだが、その後は単なる一発屋に終わるだろうとの見方が大勢を占めていた。それだけに、彼らが『The Bends』のような素晴らしい、堂々たるアルバムを引っさげて戻ってくるとは誰も予想していなかったに違いない。『Pablo Honey』が悪いアルバムというわけではない。だが、『The Bends』の雄大さと比較すれば、オックスフォードに拠点を置くこの5人の若者がデビュー以降に急速な成長を遂げたことは明らかだ。「High And Dry」、「Just」、「Street Spirit」、「Fake Plastic Trees」…ポップな曲はひとつもない。にもかかわらず、レディオヘッドの偉大さの成せるわざだろうが、いずれもシングル化されヒットした。聴けばそうなったのもうなずける。アコースティック&エレクトリック・ギターの壁を越えて迫ってくるトム・ヨークのファルセットを駆使した叫び、それに歌詞と音楽の一体化が、メランコリックな美しさをたたえた傑作を生み出したのだ。『The Bends』は1990年代のもっとも重要なアルバムのひとつであり、この後さらに偉大な作品が登場することを華々しく予告していたのである。(Robert Burrow, Amazon.co.uk)
部屋に母親が来る夢を見た。二人とも、部屋の中で座らず、立っていた。明るい光景に雨が徐々に侵食してきて午後4時、ぼやけた雨音が輪郭を取り戻すのと同じ速さで、ゆっくりと目が覚めた。
遠くで、堅く濡れた道路の上を車が走る音。
タイヤが水を撥ねて、アスファルトを暗く濡らす音。
雨の音は、音がないよりも静かに響いて聞こえた。
自分が何時ごろ眠ったのかわからなかったが、本当にぐっすり眠ったんだなぁ、と思った。
友達にお金を返す約束をしていた。今月はまだ確認していなかったので、母親に電話をし、仕送りの入金をしてくれたか訊いた。
「あのさ、今月お金入れてくれた?」
「いや、まだだけど。」
「じゃ、入れといてよ。よろしく、じゃ。」
「どうしたの?」
「え?何が?いや、お金なくなったからさ。」
「うん...わかったよ。明日入れとく」
彼女がなぜ「どうしたの?」と言ったのか、わからなかった。
”お金が必要だから、入金してくれと頼むに決まってる”と思った。
メールで友達に、明日お金を返すことを伝えた。
昨日の夜、1次会の後にローソンに傘を忘れた。
ゼミの先生にもらった傘で、忘れたことに気づいた時には酔っていたので「まぁ、いいや」ぐらいにしか思わなかったのだけれど、やはりずっと気にかかっていた。
昨日から雨は続いているし、きっと盗まれただろうなぁと思ったけれど、”もしかしたらあるかもしれない。”と考えて、結局取りにくことにした。おなかが減っていたので、お米を研いで、炊飯器のスイッチを入れて、家を出た。
外は暗かった。
ローソンまで、片道30分ほどの道のりを、『The Bends』を聴きながら歩いた。
雨は強くも弱くもない勢いで降っていて、歩きながら色々なことを考えた。
傘のこと、勉強のこと、好きな子のこと。明日のライブのこと、昨日の飲み会のこと。まともなこと、まともじゃないこと。
時間は感じなかった。途中で少し、寒くなったなぁと思った。
ローソンに着いた、傘立てを見たが見当たらなかった。
青い看板と傘に気持ちを引きずられながら、来た道を引き返す。
グラウンドから洩れた光や街灯の光を反射した歩道は、海獣の背中みたいだった。
海獣の背中は、泥のついた落ち葉を貼り付けて、窪みに溜まった水をてらてら光らせていた。
途中、つま先に目が行く自分に気づいて、顔を上げることにした。
いろいろな人とすれ違い、いろいろな車とすれ違った。
夜みたいに暗い風景、ヘッドライトは眩しかった。
目が光る大きな甲虫みたいな車が、視界の端を流れ、通り過ぎていく。
家の近く、ガソリンスタンドのある交差点の手前で、曲が切れた。
ウォークマンの再生ボタンを押した。
交通事故でも起きたのだろうか。横断歩道では、救急車と何台かの車が立ち往生していた。オバサンや、制服を着たおじさんの間を通り過ぎる。
トムヨークが言うみたいに、全ての人々が壊れていて、全てのものが壊れているのなら、今よりは少しマシな気分になれるかもしれない。
もしそうなら、壊れているのは俺だけじゃないんだから。
家に着くと、ごはんの炊けた後のにおいがした。
ウォークマンを止める気にはなれなかった。
ご飯を食べながら、携帯電話をチェックした。
明日、mogwaiを観にいく先輩からメールが着てた。
先輩からのメールには、「明日mogwaiだねえ。あはは、死んでやる。爆音死。」と書いてあって、俺は「明日ですねえ、俺も死んでやる。」と返した。
メールを返信する時に、頼まれていたダニーハザウェイのアルバムをデータ形式か、音楽CDにするか訊いた。
そしたら、「あ、やっぱMSNで転送してくれ」という文章とアドレスが送られてきた、意味がわからなくて「mp3ってメールで送れるんですか?」と返信すると、電話がかかってきた。
ウォークマンのイヤホンをはずし、メッセンジャーがどうのこうのと少し話したあと先輩に、「おい、お前、声死にそうだぞ。どうしたんだ?就職決まってないからか?(笑)」と言われた。全く自覚してなかったので、あせった。
「うわ、やべっ。マジすか?全然気づいてませんでした」
「うん。まぁ明日、mogwaiで死になさい。」
とかそんな感じで電話は終わり、仕事中だった先輩は仕事に戻り、食事中だった俺はイヤホンを着け、納豆ごはんに戻った。
たしかに最低な気分だった。
だけど、それを出さないように明るく普通に応対してるつもりだった。
なぜかはわからないが、納豆ご飯を食べ終える間に、泣きそうになっていた。
泣くのを我慢していると、母親との会話が頭をかすめた。
”もしかして母さんの「どうしたの?」って、先輩の「どうしたんだ?」のと、同じ意味だったのかよ。。。”と思ったとき、目から涙がこぼれた。
2週目の『The Bends』、イヤホンからは"Fake Plastic Trees"が流れてた。
制御を越えて、内部で膨らみ始めた波は、色々な思いと考えを巻き込んで、しだいに嗚咽を催させるほどに大きくなった。
涙は白いティッシュやパーカーの袖口に吸い込まれていった。
ベッド送り。
11時ごろ、目が覚めた。
2週目の『The Bend』はもう終わっていた。
くしゃくしゃに丸められ、机の上に転がっているティッシュが見えて、すごく嫌になった。
かっこ悪ぃ、、と思った。
オマエは悲劇のヒロインかよ。
Everything Is Nothing To Me
2004年10月2日 音楽澄みきった声で称賛されたシンガー・ソングライター、エリオット・スミスが、アコースティックからハード・テイストなサウンドまで幅広く録音。美しいハーモニー、ストリングスももちろん健在。
今日は友達の電話で起きた。花火大会へのお誘いだったその電話は、ちょうどバイト開始時刻に俺を起こした。
12時半少し過ぎ。チャリを漕いで、バイトへ。
今日のバイトはすごく短く感じた。
途中、今日は勤務日じゃなかったバイトの人が、遊びに来た。
俺はその人が苦手だ。
あまり話したことはないけれど、外見や行動、話し方が苦手だった。
監視を終えて戻ろうとすると、監視員室に彼がいるのが見えた。
けっこうひどいけれど、俺はその時「暇なんだろうな、あぁ、マジ面倒くせぇよ」と思った。
彼は悪い人じゃない、むしろとてもいい人だ。
ただ、メッシュキャップを被ってるところとか、香水の匂いとか、俗っぽくて人に謙りすぎているところとかが気に食わなかった。
いや、「お前、何様だよ?」って話だけど、嫌いに理由なんてない。たぶん、俺のせいじゃない。脳みそのせいだ。
そんなわけで、今日も適当に相手しようと思っていたのだけど、やっぱやめた。
彼の姿をぼんやり眺めながら、話を適当に聞いてる間に悲しくなってきたからだった。
彼は、31歳でバンドマンらしい、よく見るとTシャツには「rock」というレタリングがしてあった。普通なら、それだけで哀しくなるのに、「こんな格好でフリーターだろ?この前同窓会行ったんだけどさ、なんか俺やっぱ浮いてたよ...プールのバイトで浮いて、同窓会で浮いてってさ。いやー頼むぜ、ハハハ(苦笑)」と笑いながら、彼が続けて話すもんだから、俺はさらに哀しくなった。
よく見ると、31歳バンドマンの染められて痛んだ髪は、頼りなさげに生えていて、ごつごつした顔を支える首の短さと相俟った”なで肩”と太い体の周りには、悲壮感が漂っていた。
メッシュキャップの鍔の裏には、躍動感のある「deth」の文字。
そのスペルミスな文字列を見たとき、この人には優しくしてあげるべきだと思った。
売店で昼ごはん兼朝ごはんを選んでいると、近くでカップラーメンを啜る小学生の会話が耳に入ってきた。
「俺、お父さんに会ったことないんだ」
「...ふーん、そっかぁ」
「やっぱ、会いたい??」
「いや、会いたくないよ。全然」
ふーん、と思った俺は、バウムクーヘンと鳥そぼろおにぎりを食べることにした。
バイトが終わった後、花火を見てきた友達と見そびれた友達と6人で居酒屋に行った。
花火を観にいった人たちはみな、とても感動したらしくて、話を聞いてうらやましく思った。
途中、笑いながら俺のことを「大学4年生はまともじゃない」と言った友達の言葉に、ほぼ全員がうなづいて、ちょっと凹んだ。
笑い話に出来るほどに”まともじゃない”ってだけなんだから、こんなに落ち込む必要もないんだろうけれど、少し気にしていたせいか、疎外感発生装置を起動するには十分な威力と勢いで、胸に刺さった。
予想的中だね、と俺
そうみたいだね、と僕
じゃ、こっち来て、と別空間。そんでいつのまにか移動。
よく来たね、と疎外君。
あぁ、同じ場所だけどね。と俺
正直、こんな時に、君には会いたくないよ。と僕
家に帰ると孤独が待ってて、少しほっとした。
誰もいなければ、疎外感なんて感じない。
彼はとても特別だ、もともと存在しないんだから。
なんかさびしいや。
追記
明日も飲み会。
なんか行きたくなくなってきた。
今や多くのミュージシャン、リスナーから賛辞が絶えることのない名盤中の名盤。奇才ブライアン・ウィルソンの頭の中で練り上げられた荘厳なポップワールドが、この作品に詰まっている。美しいメロディと素晴らしいコーラスワーク、西海岸の名うてのスタジオミュージシャンの演奏は、どれをとっても完璧。
何といってもブライアンがつくる物憂げな哀愁を帯びたメロディは、いまだ「ビーチボーイズ=サーフィン」と思っている人に、ぜひ聴いてもらいたい。ポップミュージックの金字塔といえる作品だ。(さとし)
第1章、書き終えたー!
なんですかい、この嬉しさ。
昨日(30日)の夕方、少し遅れてゼミに行って第1章を提出した後、ゼミのみんなで鍋やって、お互いの論文を軽く批評して、人生ゲームをした。
ボード上、”人生最大の賭け”に勝った俺、50万ドル獲得して億万長者。
どうでもイイとこで運消費して万歳。
今は5時、さっき帰ってきた、眠い。
眼に入るベッド、その上を占領する洋服。
リビングの暗闇を侵すキッチンの明かり、遠くから響く音、引き起こすイメージ。
タイヤが、アスファルトを噛んだ。
歯磨いたら、寝よう。
Things Fall Apart
2004年9月22日 音楽前作はバンド演奏をあたかも打ち込みのように聴かせることに主眼を置いたが,今回はバンドらしい音を生かしたメロディアスな作りで,ライヴの感触に近づいた。神業的な口スクラッチ,口ホーンズ,口ビートをこなすラッパー陣のアクトも堪能できる。★
風景。空気の匂いや質感、温度。音。音楽を聴いているとたまに、以前その音楽を聴いた場所へと、一瞬引き戻されるような感覚に陥る。
それは場所が再現されるというより、再現された感覚が統合されて、瞬間的に場所が出現するような感じに近いような気がする。
雨の音、黒い地面を照らすヘッドライト、闇との曖昧な境目、湿ったコンクリートの匂い、ワイパーの規則的な動き、携帯の着信ランプの点滅。
ただのなんでもない風景と匂い。
ただ、どんな何気ない時間も当たり前のように取りもどせない。
「人が歳をとり涙もろくなるのは、その人の中に思い出が蓄積されるからだ。」と誰かが言っていた。
思い出は二度と体験し得ない時間を含んでいる
その取り戻せない時間を想い、人は感傷に浸るとかなんとか...
まだ早いんだろうけど、このアルバムを聴いてる時、あと半年切ったなぁと思った。
今日は雨が降った。約1時間半おきの大雨、雷。
追記
ゼミの友達に、トマトジュースのお返しでクッキーをもらった。
手作りだったし、なかなかひもじかったので、とてもうれしかった。
Wake Me Up When September Ends
2004年9月18日 音楽グリーン・デイがついに4年ぶりの新作をリリース! バンド史上最高傑作との呼び声も高い本作は、今のアメリカをパンク・キッズの視点で捉え、世界へ向けた彼らのメッセージを凝縮させた「最も誇りに思えるアルバム」(ビリー・ジョー)。アルバム全編を通してひとつのストーリーが展開されたり、組曲を収録したりと今までにないコンセプトにも注目したい。日本盤にはボ−ナス・トラック収録(予定)。
雑誌でGreen Day流”パンクオペラ”と評されていたのが気になって、聴いてみた。
最初に聴いた印象でいうと、メディアで騒がれているほどの変化を僕は感じる事ができなかった。もし、何の前情報もなしで聴かされても、ほとんどの人はこのアルバムがGreen Dayの作品だと気づくだろう。
GreenDayを含めたUSパンクロック勢やLinkinParkに代表されるUSニューメタル勢を聴くのをずっと避けてきた。嫌いなわけじゃない。確かに、彼らが作るメロディは聴きやすく、わかりやすい叙情性と開放感にあふれていて、誰もが入り込みやすいように作られていると思う。
聴いていて元気づけられるような気がする。だけど、そこに引っかかってしまう。おそらく、音楽に限らず、小説、映画、マンガなどには、ある一定の大衆の求めるフォーマットというものが存在していて、それに当てはめれば、キャッチーなものを作るのは簡単だと思う。
そういう法則のようなものを感覚や知識としてある程度知っていれば、いくらでもヒットソングを作ることが出来るだろう。
だから、”作曲家”という仕事が成り立っているのではないだろうか。
例外もあるが、アーティストと呼ばれるほとんどの人は、なんらかの方法でそこを避けようとしていると思う。詞にこだわったり、音にこだわったりして、そういうフォーマットに100%は合致しない、いい曲を作ろうと頑張っていると思う。たぶん、その努力をやめた時点で、その行為が”表現”ではなく、ただ金を稼ぐための”仕事”になってしまうからだ。フォーマットに当てはめて楽曲を作るのと、デパートの地下やスーパーの店先でたこ焼きやたい焼きを焼くのは、さほど変わらないように思う。
(注意、たこ焼きやたい焼きを焼く人を馬鹿にしてるわけではないです。あれ、おいしいよね。)
行為自体に面白みがあるとは思えない。面白みがあるとすれば、お客さんに喜んでもらえた時や、稼いだお金を使う時ぐらいじゃないだろうか。あ、いつもよりキレイにたこ焼きが焼けた時も嬉しいかもしれない。
USパンクロック勢やUSニューメタル勢が努力してないと言いたいわけじゃない、むしろ彼らは大衆性を獲得することと独自性・革新性との折り合いや両立について一番考えているんじゃないだろうか。
ただ、たまに見かけるパンクスの、何の疑いもなくそれが一番カッコいいと思ってる輩のパンク至上主義には、”我慢ならねーぜコンチクショー!”大賞を贈呈したくなる。
居酒屋で、作曲について語りつつ、自分のすごさをアピールしながら”No Punk No Life”とか言ってる医学部の学生(←以前、友達が見かけたパンクス)とかは、アロンアルファで洋風便器と自分のケツを固定して、一生便所に篭っていてほしいです。
とにかく、そんなこんなで戻ってこのアルバム。
すごく好きです。
そういう大衆性とか独自性とかのバランス云々、もーどうでもいいです。
僕も、医学部にいるパンクス君と友達になりたいと思いました。
いや、嘘です。一生便器もいやです。
とくにパンクオペラ2曲と11曲目。
11曲目、夕暮れで聴いててかるく泣きそうになりました。
まだ9月の中盤だけど...
追記
Velvet Teen来日決定!そんでもってチケット予約してきた。
だはは、やっべーよ!たのしみだー!
元々はインディーズからの発売を目論んで制作されたという,実に生々しくエモーショナルな作品。『オディレイ』で時代の先頭に躍り出た彼が自室に引きこもった{素}の姿が真空パックされたかのような,あくまでパーソナルで{歌モノ}な一枚。★
ベックの声は苦手だったはずなのに、いつのまにか好きになっていた。今日、この作品を聴いていて、むしろカッコイイ声だと思った。「聞けよ、ハゲ」みたいな図々しさがなくて良い。
今日は英語の授業があった。
先週からか先々週からかは忘れたが、最近、素晴らしく威圧的な格好をした学生が同じ英語の授業を受けている。
彼は夏休みの間に、見事にイメチェンを果たした。
2学期に入って初めて見た時、一瞬、時間が止まったかと思った。
実際にそんなことはありえないが、それぐらい衝撃的なスピードで目に焼きつく姿を、彼はしていた。
中学の歴史の教科書に出てくるチンギス・ハンそっくりの顔にサングラス、頭はスキンヘッドに白タオル、そしてカラダ全体から危険信号。神々しすぎて、近寄りがたい。
「コイツは近寄っちゃいかんヤツだ。」というのは馬鹿な小学生でもわかるんじゃないだろうか。
おそらく、あぶない刑事(デカ)以上に危ない。
別にくさいわけじゃないのに、近くによると口で息したくなるのはなぜだろう。
あぁ、なんだか悲しくなってきた。俺はなぜ彼の悪口を書いてるのか。
彼の友達はよっぽど無関心か、よっぽど寛容なヤツなんじゃないだろうか。
もしかしたら、ボケにしては完成度が高すぎるあの格好に、友達もなかなかツッコめないのかもしれない。
英語の後、友達と5人で他のキャンパスの学食に行き、昼食を食べた。弁当を買って、5人一列で芝生の上に座って食べた。
約3年半も在籍しているにもかかわらず、ほかのキャンパスに行って、昼食を食べるのは初めてだった。とにかく、人の多さにびっくりした。初めて東京見物に来た田舎者みたいな気分だった。
大学に戻った後は、ストップウォッチを交換しに行った。
戻ってからは卒研をすすめた。
20時。実習室を使おうと思ったが、パスワードを忘れていることに気づいた。管理センターに行ったが、受付時間をとっくに過ぎていた。
しかし、ちょうど部屋の外で作業をしていた係りの人が、「どうしたんだい?」と声をかけてくれた。
説明すると、時間を過ぎているのに、対応してくれた。
管理センターにいる人はみんな無愛想で、怖い人ばかりだと思い込んでいたので、「意外といい人もいるんだなぁ」と思った。